
イランの影響力は近隣諸国に
中東全域で、ホメイニが提唱する「ウィラーヤテ・ファキーフ(イスラム法学者による宗教・社会管理)」に同調する動きが活発化した。イランはシリアを強権支配するアサド家の支持を取り付け、アメリカに侵攻されたイラクで志を同じくする民兵組織を勢いづかせた。
影響はアフガニスタン、アゼルバイジャン、パキスタンに及び、イエメンではフーシ派という強力な味方を得た。フーシ派は15年、内戦の混乱の中で首都を掌握した。
こうしてイランが支援する武装勢力ネットワーク「抵抗の枢軸」が形成された。この呼称はもともと、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が02年の一般教書演説で口にした「悪の枢軸」への反発から生まれたものだ。ブッシュはイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで非難し、後にジョン・ボルトン国務次官(当時)がここにリビア、シリア、キューバを加えた。
イランの構想はシンプルだが革新的だった。「抵抗の枢軸」を使って国境の外に防衛線を張り巡らせると同時に代理戦争を展開し、イランへの直接攻撃は途方もない代償を伴うとにおわせた。
そこへイスラエルがイランに対抗し得ることを証明したのが、精鋭特殊部隊サエレット・マトカル出身のネタニヤフだった。23年10月にハマスがイスラエルに奇襲を仕掛けると、イスラエル軍はハマス、ヒズボラの幹部を殺害し、最終的にイランの指導部を次々に排除した。イスラエル史上最悪の惨事は防げなかったが、その後は常に先手を打った。
89年にホメイニの後を継いだイランの最高指導者アリ・ハメネイを殺害したことで、ネタニヤフは中東に力の論理を押し付ける戦いに勝利したように見える。アメリカの参戦でネタニヤフの権威は一層高まった。ドナルド・トランプ米大統領に公約の平和路線さえ撤回させる大物として、箔を付けた。