
イスラエルを否定した勢力で最も成功したのは
匿名を条件に取材に応じたイスラエル政府高官も「ハマスの奇襲を受け、首相は『アラブの勢力図をイスラエルが変える』と語った」と証言する。「その言葉はもはや口約束ではなく、現実になりつつある」
パレスチナのヤセル・アラファト、エジプトのガマル・アブデル・ナセル、リビアのムアマル・カダフィにイラクのサダム・フセイン。48年のイスラエル建国以来、中東・北アフリカ地域には長期的影響を及ぼす指導者が何人も現れた。その多くが中東を自分に有利な形につくり替えようとし、しばしばイスラエルの存在自体を真っ向から否定した。
だが彼らの中で最も成功したのは、アラブ世界の外から現れた人物かもしれない。
79年、イスラエルとエジプトは平和条約に調印し、サウジアラビアは武装集団によるメッカのモスク占領事件に震撼した。だがその年最大の地殻変動はイランで起きた。亡命していたイスラム教シーア派の宗教指導者ルホラ・ホメイニが欧米に支えられた王政を打倒し、新たな動乱の時代が幕を開けたのだ。
ホメイニはそのイスラム革命を支えた国内左派を弾圧する一方で、世界的な反帝国主義の潮流を巧みに利用し、革命を「イスラエルと西側に抵抗するイスラムの最前線」と位置付けた。この戦略はまずレバノンで実を結び、武装組織ヒズボラを生んだ。ヒズボラは多数の勢力が入り乱れる内戦に耐え、イスラエル軍を悩ます強大な非対称戦力に成長した。
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