選挙活動の品位を極端におとしめる事件が相次いだ

勝利するにはSNSの力で評判を積み上げる必要がある。明確な規制がない以上、自らを称賛しライバルをおとしめるステルスキャンペーンを武器にするかどうかは、陣営の方針と候補者の倫理次第になる。

近年、選挙活動の品位を極端におとしめる事件が相次いだ。24年の衆院東京15区補欠選挙では他候補を追いかけて罵詈雑言を浴びせ、演説を妨害した候補者が、選挙後に選挙の自由妨害罪で逮捕された。候補者が乱立した都知事選では、卑猥な選挙ポスターが掲示される混乱もあった。いずれも政治活動の自由の趣旨を履き違えた愚行だ。

ポスターについては法改正で規制が強化されたが、街頭演説での支持者と批判者の衝突やSNSでのけんか・罵倒の応酬は珍しくなくなっている。政治的言論は時に権力闘争の中で行われるが、正当な批判と反駁(はんばく)は、不当な誹謗と中傷と紙一重でもある。

根拠なき人格攻撃は誹謗中傷に当たり得るが、政治家の人格を攻撃する言論が公職者の資質や適格性の観点からなされる場合、誹謗中傷と決め付けるのは危うい。匿名による政治的言論自体を卑怯と見なす非難もあるが、声なき声や少数派の意見を政治に反映させる回路を確保することは重要だ。

このような観点から、政治的表現の内容が社会的に許容されるかどうかの審査にはできる限り慎重であるべきだろう。NHKの政見放送が最高度に自由な空間であるのも同趣旨だ。

それに善くも悪くも、政治家ほど誹謗中傷と揶揄嘲笑に慣れている者はいない。異性関係や性的指向をめぐる噂が流布され、怪文書が配布されるのも日常茶飯事だ。SNS動画による攻撃を一般の市民感覚や常識で測り、表現内容を規制する制度を拙速に導入すれば、政治的批判を萎縮させる可能性がある。

言論空間の適正を保つにはどのような規制があり得るか
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