それは和菓子の材料である小豆を「育てた」ということ。これまで思い出したこともなかった些末な出来事だ。「手に負えない」ものの観察と考察を積み重ねることで、和菓子の原料が芽吹いていたことの記憶は蘇った。この事実を糸口に、複数のフィールドを通して紡がれてきた物語は結末に向かっていく。

これまでに試行錯誤してきたことは無駄ではなかった。フィールドワークでの気づきはこれまでの過去の物語に裂け目を入れ、新しい自己の物語が編みなおされていく。そこにはメタ調査論的な読み、メタ編集論的な読み等、読み手の目を一瞬止めて考え込ませるような、そんな仕掛けが丹念に編みこまれている。

友田の紡いできた記述を読み終えたとき、私は小さかった頃の餅つき行事を思い出した。実家では暮れに祖父を中心に餅つきをしていた。

子どもはこの作業には参加させてもらえなかった。中学生になってはじめて、もち米を圧し潰すところからつくところまで一通りの作業に参加させてもらった。一年に一度の行事、伝統という文化的「インフラ」の維持に自分も参加している。少し誇らしげな気持ちになったことを覚えている。

しかしそれは継承されてきた伝統ではなかった。はっきり覚えていないが両親との会話の中で餅つき行事が私の誕生に合わせて祖父によってはじめられたことを知った。餅つきは既に餅つき屋や菓子屋の仕事になっていたのだ。

その報告は私が信じていた伝統的なるものに亀裂を入れた。しかし私は騙されたとは思わなかったし、それよりも祖父の人生や祖父の願いに触れられたような気がして嬉しかった。

私の記憶、私の物語は、私がこれまで積み重ねてきた経験から組み立てられている。それはこれまでは知らなかった、気づいていなかったことによって編みなおされうる。これまでとは異なる彩を帯びうる。

堅牢に設計されているように見える地下鉄にも水が染み出し、それを防ごうとする対策のホースの中で名もない草の新芽が芽吹くように、私たちの物語はつねに亀裂に開かれ、そこには新たな物語の芽が隠されている。
 

團 康晃(Yasuaki Dan)
大阪経済大学情報社会学部准教授。専門は文化社会学、メディア論、エスノメソドロジー研究。著書に『休み時間の過ごし方──地方公立中学校における文化とアイデンティティをめぐるエスノグラフィー』(烽火書房)。共編著に『楽しみの技法──趣味実践の社会学』(ナカニシヤ出版)、『社会にとって趣味とは何か──文化社会学の方法規準』(河出書房新社)、『学びをみとる──エスノメソドロジー・会話分析による授業の分析』(新曜社)など。

「手に負えない」を編みなおす

友田とん[著]

柏書房[刊]

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