「だまされていると思わないか?」。1978年1月、アメリカツアー中だった英パンクバンド、セックス・ピストルズのサンフランシスコ公演の最後、ボーカルのジョン・ライドンが言い放った一言はその後も反響し続けている。
ライドンの言葉でピストルズの活動に終止符が打たれたのは、75年11月の結成からわずか2年2カ月後。イギリスで「全国的現象」になってから2年もたっていなかった。
その始まりは、終わりと同じくらい強烈だった。ロンドンにある100クラブで、記念碑的ライブを行ったのは半世紀前の76年3月30日。居合わせた写真家P・T・マデンは、こう振り返っている。
「覚えているのは、ものすごく重要な瞬間だと思ったことだ。それまでに見たどのライブとも違う。興奮そのものの期待感に満ちている、と」
100クラブは40年代にさかのぼる歴史を持つライブハウスで、パンクロックの外見的要素や音楽性が結晶化した場所の1つだ。
76年9月に開催した2日間のイベント「パンクスペシャル」には、新星バンドのスージー・アンド・ザ・バンシーズやザ・クラッシュがそろって出演し、虚無的で敵対的な美学と音楽的ミニマリズムが融合するパンクシーンを決定付けた。その代表的な顔になったのが、ピストルズだ。
ピストルズは猛スピードで頭角を現した。76年10月には大手EMIと契約したが、バンドとマネジャーのマルコム・マクラレンが過激さを推し進めるなか、数カ月後に契約を破棄される。火種の1つは、バンドが出演したテレビ番組で、過激な言葉を連発して騒動になったことだ。
76年11月に発表したシングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」は、あからさまな意思表示だった。レーベル移籍を続け、77年にアルバム『勝手にしやがれ!!』を発表。同作を代表する扇動的なシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は、同年のエリザベス女王の即位25周年祝賀記念行事期間中、BBCや独立系ラジオ局で放送禁止になった。
ピストルズの攻撃は刹那的で激しかった。その強烈さは社会状況と切り離せない。
当時のイギリスでは60年代の楽観主義が腐食し、経済低迷やオイルショック、インフレ率上昇、産業不安に見舞われていた。若年層失業率が高まるなか、経済の停滞感や疎外感は深まった。
痛烈で幻滅だらけで、権威に対して懐疑的という、より広範囲の文化に充満していたムードを、最もありありと表現したのがピストルズだった。この特徴は、関心と倫理的パニックの間を揺れ動くメディアの怒りを受けて増幅した。
パンクは純粋な「イギリス産」ではない。既に70年代前半、アメリカでロックの必要最低限に立ち返るラモーンズなどのバンドが登場し、ニューヨークのCBGBといったクラブで、反抗や未完成をよしとする意識が形づくられていた。ピストルズや同世代の一派は、それを極めてイギリス的に翻訳し、激化させた。
パンクはサブカルチャーの異なる要素であるファッションやアート、音楽が共鳴し合う「ホモロジー(相同性)」だと、英メディア理論家ディック・ヘブディジは述べている。破れた服や安全ピン、攻撃的なパフォーマンスは敵対的で、意図的に混乱した在り方の明確な表現だった。ピストルズは不満を表明しただけでなく、その不満に視覚的・聴覚的形態を与えた。
革命はしばしば、転覆を目指した事象の再現に終わる。「こちらは新しいボス。古いボスと同じ」というピート・タウンゼントの歌詞にあるように、変化が起きたようでありながら、根本的な権力構造は手付かずで残る。
ピストルズの内部崩壊は、既定の慣行が再び力を示すパターンをなぞっているようだった。とはいえ、その後に起きたのは消滅ではなく、メインストリーム文化に吸収された音楽スタイルへの変容だ。
サンフランシスコ公演の後、ライドンが脱退したピストルズの残骸は日和見主義と神話化の中で作り替えられた。一役を担ったのが、ベーシストだったシド・ビシャスの「悪名」だ。マクラレンの視点で構成された映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』(80年)も、バンドの盛衰を脚色された風刺劇として描き、歴史とパフォーマンスの境界線を曖昧にした。
以降の軌跡は、ピストルズがぶち壊そうとしたはずのロックグループの在り方とそう変わらない。ライドンはマクラレンやバンドメンバーを相手に裁判を起こし、芸術的表現と商業的規制の対立関係を浮き彫りにした。一方、複数回の再結成やドキュメンタリー映画『ノーフューチャー』(2000年)の公開、相次ぐ結成50周年記念ツアーやイベントはどれも、ピストルズの偶像化に貢献している。
パンクに顔をしかめた体制側も、やがてパンクを取り込んだ。イギリスのEU離脱が決まった16年、BBCが看板ニュース番組の締めくくりにピストルズ版「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を放送したのがいい例だ。それでも、最初の爆発の輝きが消えるわけではない。
76年当時、ピストルズは話題をつくっただけでなく、社会的不満や文化的実験の特定の側面を形にした。彼らは、音楽とスタイルと社会的状況が組み合わさったときに生まれる刹那的で、同時に永続的なものの象徴であり続けている。
その後のキャリアがよくあるパターンどおりでも、ピストルズが体現した粗野で破壊的で収まりがつかない力は、今も心に響く。ライドンがサンフランシスコで、あの皮肉で決定的な問いを放ってから数十年が過ぎても。
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Adam Behr, Reader in Music, Politics and Society, Newcastle University
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