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ニューヨークの教会では食料の配給が LEVINE-ROBERTSーSIPA USAーREUTERS

僕が住むブルックリンを歩くと路上に扉付きの棚が置いてあり、豆の缶詰、お米、野菜、衣服などが所狭しと並んでいる。国境を越えてきたのだなと思うような家族が扉を開けて物色してるシーンに出くわす。今日を生きるか死ぬかで困っている人のためのものだから手は伸ばさないけれど、なんとなくチラ見はする。

ホームレスの人に食事を提供する人たちが路上で配っているのもよく見かけるが、彼らは受け取らない場合も多く、余ってしまう。黒人の多い教会で「ご飯どうですか」と声をかけられ、僕がそれをもらうことも。後で「おいしかったよ」と言うと、炊き出しをしている人たちはすごく喜ぶ。サービスする側、される側が肩に力を入れすぎず、お互いにモチベーションを上げながら、この街を回している。

ブルックリンでは空き店舗をよく見かける。その景色にももう慣れてしまった。食料品店が新しくオープンしたと思ったら、すぐにクローズする。店の代わりに路上に人が集まり、車に積んだ大きなスピーカーから音楽を爆音で流し、自宅から酒を分からぬように袋に包んで持ち出して、人々のたまり場になる。にわかバーみたいな感じ。

そしてこれは僕の主観だが、コロナ以降、生と死がよりリアルに、より身近になった。みんなこの街へ夢を持ってやって来る。有名になりたい、才能を認められたい、誰かに求められる人生を送りたい。しかし最も簡単にそれが折れてしまうのもニューヨークだ。

NYの根幹は変わらない
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