人間は何かを主張するとき、その主張が論理的に正しいと信じ込んでいます。でも、実は、自分が信じたいことに一番ぴったりくる論理を選んでいるのでしょう。何かを主張したくなったら「なんで私はこう考えたかったのだろう?」とその根拠を探す。そして「ああ、こういう設定で考えると、自分は元気がでるわけか」と分析します。

ニーチェは、欲望によって論理が操られてしまうのだから、人間はぜんぜん理性的ではないという事実を暴露した哲学者でした。

道徳的な人はなぜうさんくさいのか

また、ニーチェは道徳批判をしています。一般に、道徳は絶対に正しいと思われています。でも実は、「力への意志」が都合のいいことをチョイスして自分を武装しているものなのです。

だれでもうすうす気がついているのですが、道徳的なことを言う人はなぜか説教くさく、うさんくさい感じがします。なぜなら、道徳で自分を武装することができるからです。

弱者は「善」とは限らない:奴隷一揆する弱者たち

さらにニーチェは、善悪の起源も問います。なぜか弱者は「善」であり、強者は「悪」であると思われがちです(例:貧乏は美徳、金持ちは悪人)。弱者は、心のなかに恨み(ルサンチマン=怨恨)をもち、弱い自分は「善」であり「正しい」と解釈します。

「道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである」(『善悪の彼岸』)

弱者が価値の転換をして、強者を引きずり下ろすことを「奴隷一揆」と表現しています。これもニーチェらしい激しい言い方です。

神は死んだ...
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