最新記事

トリエンナーレ

『表現の不自由展』の議論は始まってもいない

2019年10月9日(水)11時48分
澤田知洋(本誌記者)

閉鎖された会場前には来場者それぞれの「不自由」の見解が TOMOHIRO SAWADAーNEWSWEEK JAPAN

<微妙なテーマを扱う芸術展が抗議にさらされるのは世界共通だが、重要なのは作品が語られたかどうかだ>

まさに百家争鳴、議論百出のありさま。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展『表現の不自由展・その後』をめぐる騒動だ。

8月1日に開幕し、展示作品の中に従軍慰安婦を象徴する『平和の少女像』や天皇の肖像を含む絵を燃やす動画があると知られるや、脅迫を含む抗議が殺到。安全上の理由から、わずか3日で中止になった。

作品を見た人は限られているのに、「表現の自由」をめぐって今もネットやメディアで激しい空中戦が展開されている。異常なほど抗議が拡大した(8月末までに1万件以上)背景には、政治家たちの「検閲」とも言える発言がある。

河村たかし名古屋市長は「日本人の心を踏みにじる」と中止を要求。菅義偉官房長官はトリエンナーレへの補助金不交付の可能性を示唆した。その後、文化庁は補助金の不交付を発表。異例の決定だが、その過程の審査の議事録が存在しないという不透明さも判明した。

筆者は9月下旬、トリエンナーレを訪れた。不自由展以外の展示を見て感じたのは、作家が意志を持って社会や政治に切り込む、問題提起的な作品が多いということだ。

例えば藤井光の『無情』は、日本統治時代に台湾の人々を「皇民化」する様子を報じたプロパガンダ映画を展示。この映画と、そこで行われていた訓練や宗教儀礼を今の愛知県内の外国人らが再演した映像を並べることで、ある種のグロテスクさが浮き上がる。このような形で、多くの不自由展以外の作品は、誤解を恐れずに言えば十分「政治的」で「論争的」だ。

それに対し、『平和の少女像』は隣に椅子を並べた簡素な作り。昭和天皇のコラージュが登場する『遠近を抱えて』シリーズは、(1986年の富山県立近代美術館での事件など)作品をめぐる複雑な前提知識を必要とする。メッセージ性が前面にあるというより、観客の解釈力を試すような作品だろう。

不自由展の注目度だけが突出しているアンバランスさが突き付けるのは、慰安婦や天皇制がつくづく今の日本にとって「鬼門」ということだ。禁忌のテーマに触れただけで拒絶反応が起き、作品は見られずじまい。結局、表現の微細な内容まで議論が及ぶことはない。

「ドクメンタ」でも軋轢が

微妙なテーマを扱う作品がたたかれる例は国内外に数多い。挑戦的なテーマ設定で知られるドイツの「ドクメンタ」は、トリエンナーレの津田大介芸術監督も参考にしたと公言する現代美術展だ。

そこでは2017年、現代の中東難民と第二次大戦中のユダヤ人迫害を比較する詩の朗読会がユダヤ系団体からの抗議で内容差し替えになった。特に公金が投入されるイベントは有象無象の圧力にさらされやすい。

トリエンナーレの主催者側もこうした点は承知していただろう。しかし不満や批判の声に正面から向き合う覚悟はどれほどあっただろうか。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

かじ取り誤るとデフレに戻る可能性、日銀と共通認識=

ビジネス

現在の円安「経営にマイナス」4割超、適正133.5

ワールド

暗号資産テラUSD開発者に禁錮15年、暴落で巨額損

ビジネス

米アップル、エピックとの独禁法訴訟で命令の一部撤回
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 2
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれなかった「ビートルズ」のメンバーは?
  • 3
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキャリアアップの道
  • 4
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 5
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 6
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 7
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナ…
  • 8
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 9
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 10
    「何これ」「気持ち悪い」ソファの下で繁殖する「謎…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 6
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 7
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 9
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中