「現代アート」の起源は第一次世界大戦だった...芸術はなぜ社会と向き合うようになったのか?
また、ヨーロッパだけでなく、遥か遠く南米でも社会性を帯びた「壁画運動」と呼ばれる芸術の潮流が花開きます。当時メキシコでは社会主義革命が成立し、その後の混乱のなかで新しい国家の理想を表現してみせたのが、ディエゴ・リベラやホセ・クレメンテ・オロスコといった画家たちでした。
彼らは公共の壁に大規模な壁画を描くプロジェクトを立ち上げ、そのなかに農民や労働者が躍動する姿を表現し、革命の理想を広く社会に訴えたのです。
社会性を意識してアウトプットするようになったのは、当時の前衛画家だけではありません。戦争終結時、70歳を超えていた印象派の巨匠クロード・モネでさえ、その後の芸術活動は社会とのかかわりのなかで行われています。
今では観光名所となっているフランス・パリのオランジュリー美術館には、モネが描いた「睡蓮」の大装飾画を飾る専用の展示室があります。モネが最晩年を捧げた渾身の大作です。
モネは印象派の代表的な画家であり、若い頃は主に個人のための小型の作品を描いていました。庭の風景や自然を題材にし、家庭のなかで飾られることを前提としたものでした。
しかし、第一次世界大戦で目の当たりにした悲惨な現実は、彼の絵画観を変えました。絵画の力で、戦争で傷ついた人々の心に癒やしと平和を与えたい、と考えるようになったのです。
そこで彼は盟友であった大政治家ジョルジュ・クレマンソーの助力を得て、亡くなるまでの約10年間を、オランジュリー美術館での大装飾画構想に捧げました。より多くの人に作品を見てもらえるよう、「睡蓮」を巨大な壁画として描いたのです。
このように、第一次世界大戦は、それまで何かを飾り立てたり、個人的に楽しむ対象として嗜まれたりしてきた美術のありかたそのものを問い直し、芸術家たちに社会的なメッセージを持った表現を模索させるきっかけになったのです。
私は、「芸術は社会と向き合うもの」という考え方のもとで表現されるのが今の現代アートの基本的なスタンスだと考えていますが、社会とのかかわりを意識して芸術家が盛んに制作するようになったきっかけが、まさに第一次世界大戦だったのです。
秋元雄史(Yuji Akimoto)
1955年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業後、作家活動をしながらアートライターとして活動。1991年福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に入社、直島のアートプロジェクトを担当。開館時の2004年より地中美術館館長/公益財団法人直島福武美術館 財団常務理事に就任、ベネッセアートサイト直島・アーティスティックディレクターも兼務。2007年 金沢21世紀美術館 館長、2015年東京藝術大学大学美術館 館長・教授、2018年練馬区立美術館 館長を歴任。著書に『直島誕生』『おどろきの金沢』『アート思考』等がある。
『芸術の価値とは何か──AIが奪い尽くすからこそ、アートに解がある』
秋元雄史[著]
中公新書ラクレ[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
【関連記事】
アンディ・ウォーホルとの「大きな共通点」も...唯一無二の美術館を作った「バーンズ」とは何者なのか?
決死の嘘が救ったクリムトの肖像画 ──ナチスの迫害を生き延び、史上2番目の高値で落札された1枚
アメリカに初めて「ゴッホの絵画」を輸入した男...2500点の名画を集めた大富豪バーンズの知られざる「爆買い人生」
アマゾンに飛びます
2026年4月14号(4月7日発売)は「トランプの大誤算」特集。国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら






