コラム

アメリカの縮図という泥沼でもがく人々、映画『スリー・ビルボード』

2018年01月31日(水)17時10分

『スリー・ビルボード』 (C)2017 Twentieth Century Fox

<アメリカの片田舎で娘を殺された主婦が巨大な広告看板を設置する...。アメリカの縮図という泥沼のなかで、それぞれにもがきながら思わぬかたちで触れ合い、抜け出そうとしていく人びとの物語>

イギリス演劇界で活躍し、映画界でも注目を集めるマーティン・マクドナー監督の第3作『スリー・ビルボード』の舞台は、ミズーリ州にある架空の田舎町エビング。物語は、主人公のひとりであるミルドレッドが、閑散とした道路の脇に立ち並ぶ朽ちかけた3枚の広告看板に目をつけるところから始まる。しばらくして看板にはこんなメッセージが現れる。「レイプされて殺された」「犯人逮捕はまだ?」「なぜ? ウィロビー署長」。

7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッドは、事件の捜査が進展しないことに痺れを切らし、解決のきっかけをつかむために強攻策に出た。挑発的な広告はコミュニティに軋轢を生み、次々に事件が起こる。

物語は3人の人物を中心に展開する。ミルドレッド、住民からの信望が厚い警察署長ウィロビー、そして彼の部下で、人種差別主義者の巡査ディクソンだ。

物語は予想もしない方向へと展開していく

マクドナー監督は、緻密な脚本と巧みな演出で私たちを揺れる田舎町の世界に引き込んでいく。

設定から想像される被害者遺族と警察権力の対立の構図は、あっさりと崩れていく。主人公たちはそれぞれに最初の印象とは異なる顔を見せ、複雑に絡み合うことで、物語は予想もしない方向へと展開していく。

ダークなユーモアも際立つ。広告に憤慨する町の歯科医は、治療に訪れたミルドレッドの歯を麻酔もせずに処置しようとするが、逆に彼女から手ひどい仕打ちを受ける。広告の余波でひどい暴行を受けて入院するはめになった人物が、包帯で顔もわからないほど変わり果てた姿となった因縁の相手と病室で対面する場面でのやりとりは、痛々しくて可笑しくて、そして切ない。

しかし、筆者が特に注目したいのは別の要素だ。この映画の前半部には、和を乱すミルドレッドに忠告に訪れた神父に対して、彼女が長広舌をふるう場面がある。その出だしは唐突で、80年代のロサンゼルスで抗争を繰り広げた2大ストリート・ギャング、クリップスとブラッズの話題から始まる。そのギャングを取り締まるために新しい法律ができた。彼女の記憶が正しければ、その要旨は、ギャングの一員になれば、仲間が事件を起こしただけで自分がまったく関与していなくても罪に問われるというものだった。

彼女の目から見れば、教会の神父もギャングと変わりがない。もし神父が2階で聖書を読んでいる間に、別の神父が下でミサの侍者の少年に性的虐待を加えていればやはり罪に問われる。だから神父には、彼女の家に来て、つべこべ言う権利はない。そんなことをとうとうとまくし立てて、神父を追い返してしまうのだ。

この長広舌は、神父を屈辱する行為をダークなユーモアで表現しているだけではない。そこにはふたつの意味がある。

閉鎖的な田舎町と外部を巧みに結びつける

まず、いままさにミルドレッドの行動原理になりつつあるものを予告している。彼女が息子を車で学校まで送ったとき、彼女に反感を持つ男子生徒がドリンクの缶を車に投げつける。そこで車を降りた彼女は、その男子生徒の股間を蹴り上げるだけではなく、隣にいた友だちと思われる女子生徒にも、有無を言わさず同じ仕打ちを加える。ミルドレッドがそんな同罪の理論に突き動かされていると考えるなら、その後の行動も必ずしも意外ではなく、一貫しているともいえる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豪サントス、アブダビ国営石油主導連合が買収提案 1

ワールド

韓国、第2次補正予算案を19日に閣議上程へ 景気支

ワールド

米の日鉄投資計画承認、日米の経済関係強化につながる

ワールド

米空母、南シナ海から西進 中東情勢緊迫化
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 7
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story