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ふと気がつけば学問で──その中でもいっとう抽象的な哲学・倫理学という領域で、10年以上も生計を立てている。けれど私には、学問よりもっと付き合いが長い、もうひとつの道がある。それが何であるかはあえて伏せておきたい。おいおいわかるように、それは任意のXで十分だからだ。
その現場に立っている時には、たいていのことはわかっている気がする。自分の資質や技量や素材の手触りだけでなく、自分が何者かとか、世界の実相とか、そんなものまで。隣に立っている他人の力量はもちろん、その人柄や来歴や人生観もなんとなくわかる。
ここでは性根のまがった因業な年寄りが、子どものようにのびのびと純真なわざを見せたりする。逆にこの道について滔々(とうとう)と弁ずる人が、いざ現場に立つと痛ましいほどに拙(つたな)いこともある。
ただやって見せさえしてくれたら、だいたいの人の人となりを見抜く自信が私にはある。ここでは私の頭でなく、私の手が、およそ知るに値することをみな知っている。
けれども学問に立ち戻ると、私の手がとっくに知っていたことを、普遍性を担保すべき抽象的な論理空間で、今度は頭だけで、辿り直さなくてはならない。
哲学や倫理学が問うのは、人間の生死の大事に直結することがらである。そうでなくてはおかしい。けれど人生のかかった選択となると、ふつう頭の中でこねくり回していても埒があかず、部屋を掃除したり大根を煮たりしているうちに、すとんと落としどころが見えてくるものではなかろうか。
それを頭だけで捉えようとすると、脳みそだけで器械体操をするようなもどかしさや徒労感に苛(さいな)まれずにはおれない。やればわかることを、なぜやらずにわかろうとするのか?
これは何も、致命的に職業選択を間違えた人間の愚かしい歎き節というだけではない。
日本思想史はもうずっとこのことを──いや根本的にはこのことだけをめぐって、展開してきたといってよい。その中で一番「哲学」的な書き手である道元のテクストを読んでいても、哲学者たちはその核心部で "いいから坐禅せよ" とはね返されるのが常である。
また荻生徂徠や本居宣長にとっても、「道」とはロジックとして頭で捉えられるものではなく、古代の経典に習熟したり、和歌を詠みならったりすることを通じて、身体でわかることでしかなかった。
古くは仏者の修行や茶道・書道のような諸芸道、現代でも農業や俳句やピアノや野球など任意の道が、それぞれの細々(こまごま)とした実践的な技術を越えて、その道に身を置きいれる人の人生観や世界観まで示してしまい、外来の難解な観念語を弄する知的営為が空転してしまう。
これはマジョリティの内発的な需要によってではなく、「大学」「文学部」等々の外的な制度の要請によって立ち上げられた近代日本の「哲学」がはじめから抱えこんでいた危機である。