また聖徳太子から西田幾多郎・和辻哲郎にまで至る日本思想の通史としての本書のもう1つの読みどころは、空海のプレゼンスの強調にある。
「すべての哲学はプラトンへの脚注である」という有名なホワイトヘッドの評言をもじって、カスーリスは「日本の哲学伝統をもっとも穏当に特徴づけるとすれば、それは一連の空海へのリフから成ったものだということになる」と挑発的に揚言する。
どういう意味で「穏当」(moderate)なのか私には判断がつきかねるが、脚注よりもリフのほうが「参与」的なのが心にくい。親鸞や道元にも空海の影が見出され、禅に傾倒した西田は密教には十分に親しまなかったために、空海がつくった車輪を再発明してしまったのだ、とさえ評される。
日本思想史の一般的な記述では、天台宗からいわゆる鎌倉新仏教が分かれ、その中の禅宗から還俗した人々が朱子学を担い、と最澄のプレゼンスのほうが強調されがちだ。しかし、たしかにこと「参与」に注目するならば、空海と真言宗の影響力には絶大なものがある。
正典にひそむ「秘密」の裏コードを読み取ってゆくテクスト解釈法、イニシエーションと口伝の重視、儀礼的実践による宇宙的実在との一体化、何重もの秘伝や奥義。
中世以降の神道や諸芸道を少しでもかじった人は、それらが密教的なパラダイムに浸潤されきっていることをみな知っているはずである。これも本書が日本で読まれるべき意義の大きな部分をなしている。
なおカスーリスは、日本国内での日本思想研究が(歴史学としての)日本思想史・美学・仏教学・倫理学などでばらばらに担われ、真正面から「哲学」として取り扱われない現状を深く歎いている。
そして本書を丁寧に読みさえすれば、私たちのような日本国内の専門学会に属する研究者よりもずっと深い日本哲学への理解を得られるだろう、と述べている。
これはたぶん、彼自身が長々と説いてきたところを信じるならば、挑発ではなく誘(いざな)いであるはずだ──例の「参与」への。少なくとも私はそう受け取った。冒頭でくどくど述べたように、やってらんないよ、などとうだついている場合ではなさそうである。
板東洋介(Yosuke Bando)
1984年生まれ。東京大学文学部哲学専修課程卒業、同大大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。皇學館大学文学部准教授、筑波大学人文社会系准教授を経て、現職。博士(文学)。専門は日本近世の倫理思想史。著書に『徂徠学派から国学へ──表現する人間』(ぺりかん社、サントリー学芸賞)、『谷崎潤一郎』(清水書院)。共著に『和辻哲郎の人文学』(ナカニシヤ出版)など。日本倫理学会和辻賞、日本思想史学会奨励賞を受賞。
特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
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Engaging Japanese Philosophy: A Short History
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