アステイオン

サントリー学芸賞

『サントリー学芸賞選評集』受賞者特別寄稿vol.2 境を越える研究者たちのために

2020年04月24日(金)
田中優子(法政大学総長)

SUNTORY FOUNDATION

『江戸百夢』でサントリー学芸賞をいただいた2001年は、私にとって忘れられない年である。その年の春、病気で入院して大学を休職した。手術の数日後に芸術選奨文部科学大臣賞の贈呈式があり、首に包帯を巻いて出席した。退院してしばらく後、サントリー学芸賞の贈呈式があった。そのときには全快して包帯もなく、着物を着ることもできたのである。会場ですれ違う何人かから同じことを言われた。「あれ?まだサントリー学芸賞取っていなかったの?」

そう。サントリー学芸賞は「新進の評論家、研究者」も受賞できるが、「これまでの一連の著作活動の業績を総合して選考の対象とすることも」あるのだ。私は後者なのだと思う。しかし嬉しかった。なぜならサントリー学芸賞の選考委員たちは、斬新なアプローチ、従来の学問の境界領域での研究、そしてフロンティアの開拓に深い関心を持っているからである。つまり、いわゆる本流の学者たちのための賞ではない。

では傍流のための賞なのかと言えば、それも違う。境を越える執筆者たちのためにあるのだ。たとえば江戸時代研究の場合、おおまかに言えば「文学」と「歴史」に分かれる。その上、歴史なら「美術史」「思想史」「出版史」「法制史」「科学史」等々に分かれ、さらに前期、中期、後期に分かれる。「文学」であるなら、戯作、読本、詩歌俳諧などに分かれる。ひとりの作家や思想家だけを研究する者もいる。しかし江戸時代の文化は、このような分担では研究できない。私は同時代の海外も含め、思考が連結するにまかせて可能な限り広く研究し執筆すべきだと考え、実行してきた。「江戸学」の最先端は、文学や美術はもちろんのこと、中国、朝鮮、インド、ベトナム、インドネシアなどのアジア学、貿易、都市工学、気象学、経済学、人口学、社会学、博物学、解剖学、医学、薬学、そしてオランダ、イギリス、ロシアなどの知識が必要になっている。江戸学は日本を知るための総合学として構築されるべきなのだ。

1985年、『東京の空間人類学』でサントリー学芸賞を受賞した法政大学の陣内秀信氏は、工学系の都市学を専門にしており、とりわけヴェネチアの専門家であった。しかしこの受賞を機会に、江戸東京を含む水都全般の研究に乗り出した。翌年の1986年、私は『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞をとり、法政大学に江戸東京学の二つの基礎ができた。それは現在、私立大学ブランディング事業「江戸東京研究センター」として結実している。陣内氏も私も、境を越える研究者であり、江戸研究はそういう者たちによってしか拓くことができない。世界に役立つ様々な分野が、学際的になり文理融合している。サントリー学芸賞の受賞者たちはその先端を切ってきたのであり、賞の重要性は今後、ますます高まるだろう。

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