未来がすべてわかっていたら生きる喜びはない
この先起こる出来事が何かわからないということは不安なものですが、もしもこれから起きることのすべてがわかっていれば、生きる喜びすら感じられません。時には不幸のどん底に沈むような出来事が起こるかもしれませんが、それでも今見たようにそれが必ず不幸であるというわけではないのです。
とはいえ、起こった出来事が不幸であるとは限らないというのは、不幸の渦中にある人にいえることではありません。
私は病気になって仕事を失う経験をしましたが、病気になったおかげで学んだことは多々ありました。その意味で、病気もよい経験になったと今はいえますが、他の人に対しては病気をしてよかったとはいえません。
自分でも病気になったことをなかなか受け入れられない時に、見舞いにやってきた人から、ずっと働き詰めだったのだからゆっくり休んだらいいといわれると嬉しくはありません。
亡くなった人の人生をその最期だけで判断してはいけない
さらに深刻なケースになりますが、カウンセリングの場で自ら命を絶った人の家族と話すことがよくありました。私がいつもいうのは、亡くなった人の人生をその最期だけで判断してはいけないということです。

しかし、そのように亡くなった人が生涯ずっと不幸だったかといえば、そうとはいえないという話はしました。それでも、起きた結果を受け入れるためには長い時間が必要です。
事故や災害に遭った時も同じです。何もかも失うような出来事を経験すれば、それを受け入れられるまでには時間がかかります。そうできるようになる前に当事者ではないまわりの人から、起きた出来事には意味があるというような話をいわれたくはありません。
岸見一郎
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。ミリオンセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以上、古賀史健氏との共著)をはじめ、『困った時のアドラー心理学』『人生を変える勇気』『アドラーをじっくり読む』など著書多数。
