新型コロナウイルス大流行の震源地となった中国湖北省の武漢市は、世界の他の都市に先駆けて封鎖が解除された。中国自身だけでなく、各国の公衆衛生専門家がこの封じ込めを成功例として称賛しているが、ロックダウンまでの道のりは簡単ではなかった。

ロイターはさまざなデータや公式記録に当たるとともに、武漢の市当局者、住民、科学者など数十人にインタビューをした。そこから見えてきたのは、問題をなかなか直視できなかった武漢市当局と、事態の深刻さを目の当たりし、慌てて強権を発動していく中央の姿だった。

1月18日、潮目が変わる

武漢の保健医療当局が、のちに新型コロナウイルスと判明する最初の症例を報告したのは12月、そしてこのウイルスとの関連が明らかな最初の死者が確認されたのは1月初めのことだった。

1月の最初の2週間、市当局は状況はコントロール下に置かれていると強調し、人から人への感染の可能性を軽視していた。彼らの関心はむしろ、感染源と疑われる海産物や野生動物を売買する市場へと向けられていた。

だがその後、不穏な兆しが現れ始める。

武漢の住民6人がロイターに語ったところによれば、1月12日頃には病院の呼吸器科病棟が許容量の限界に達し始め、一部の患者が受診や入院を断られるようになっていた。

しかし、少なくとも1月16日までは、武漢市政府は新たな患者は2週間ほど発生していないと説明し、市内はいつもと変わらぬ様子だった。レストランは来店者で賑わい、商業地区には買い物客が行き交い、旅行客は春節(旧正月)の休暇に向けて鉄道の駅や空港へと向かっていた。

住民の証言によれば、この頃実施されていた対策は、公共施設での住民の検温や、感染防止用マスクの着用呼びかけといった最低限のものだったという。

「私たち一般市民には、感染防止対策をとる必要があることは知らされていなかった」。1月31日に叔父をコロナウイルスで亡くしたというワン・ウェンジュンさんはこう語る。

その空気は、1月18日を境に変化する。北京の中央政府から派遣された専門家チームが武漢に到着したのだ。

チームを率いるのは、2003年に、やはりコロナウイルスの一種である重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大について中国国内で警鐘を鳴らしたことで知られる、疫学者の鍾南山氏(83)である。派遣チームは2日間にわたって武漢での感染源と感染規模の調査を行い、海産物や野生動物の市場を含む現場の視察を行った。

この視察について詳しい関係者は、武漢での視察が進み、危機の規模が明らかになっていくにつれて、科学者たちの表情は暗くなっていったと明かす。

専門家チームが到着する前日には市内で新たに4件の感染例が確認されたが、いずれも市内生鮮市場との明確な関連は確認されなかった。

深まる疑念