全ての問題の発端はオスロ合意だ。トランプの和平案に対して、多くのアラブ人の専門家や有識者はそのように見ている。オスロ合意は93年、ノルウェーの仲介による秘密交渉で実現したもので、正式には「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」。イスラエルのイツハク・ラビン首相(当時)とパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長が、ビル・クリントン米大統領の立ち合いの下、ワシントンのホワイトハウスで調印した。これはパレスチナ人との共存がうたい文句だったが、今になって自分を含む大半のアラブ人は、オスロ合意こそがパレスチナの独立権をフイにしたと考えるようになった。国家樹立のためにパレスチナ人が長年闘争し、そのために払ってきた犠牲を台無しにしたのがオスロ合意だと。そして、全てが欧米による策略だったのではないかとまで思うようになったのだ。
オスロ合意により、パレスチナ人は陸の孤島のように分断された自治区に事実上閉じ込められ、不自由で貧しい生活を強いられることになった。パレスチナ人の国家もできず、首都としての東エルサレムの奪還も、パレスチナ人の帰還権も何一つ手に入れることができなかった。むしろ、1947年の国連決議で決められた2国家構想や国際社会による約束の領土も奪われた。
つまりアメリカやイスラエルはオスロ合意という見せかけの合意を作り、民族の自決権としてのパレスチナ国家の樹立問題を、単なるパレスチナとイスラエルの政治的争いという問題にすり替えてしまった。イスラエルやアメリカは、国際法や国連憲章によって保障されているはずの民族自決権や民族解放闘争、とりわけイスラエルの非合法占領に対するパレスチナ人の闘争の権利を非合法化するために、和平交渉やオスロ合意を働きかけ、それを口実に占領を合法化しようとしてきた。
私が日本に来てから25年が経つ。その間、イラク経済封鎖、9.11アメリカ同時多発テロ、イラク戦争、イラク内戦、イスラエルのガザ攻撃、イスラエルのレバノン攻撃、アラブの春、リビア内戦、シリア内戦、イエメン内戦と、中東地域をめぐる数々の出来事が起きた。それらを見つめる中で、なぜテロが起きるのか、テロを起こした人間はどんなきっかけでそうなったのかといった多くの疑問が頭をよぎった。最近思うに、人間は努力や苦悩を続けても報われないと「何をやってもダメだ」と失望し、また、追い詰められた状況が続くと過激な思想に走る確率が高くなる。これは平和の力を信じて努力や苦悩をしてきた人の場合も同じだ。そのことは「武力なしに平和の実現はない」と力に訴える声に説得力を持たせることにつながるだろう。これを心理学者であるビクトール・フランクルの「苦悩と絶望に関する公式」に当てはめて、「解(かい)」を得ようとすると次のようになる。
絶望=努力や苦悩−意味
フランクルは、ナチスドイツによるアウシュビッツ強制収容所に収容されるという絶望的な状況の中で、わずかな希望を見出して、奇跡的に生き延びたユダヤ人の1人。彼によると絶望とは、苦悩から意味を差し引いたことをいう。つまり、絶望とは意味なき苦悩だ。
絶望的な状況に追い込まれた人たちに共通するのは、わずかでも決して希望を失わないということだ。イスラエルの軍事占領下で苦しめられているパレスチナ人の場合でいうと、これまで70年間、「パレスチナ」の国家建設を手に入れるために苦悩に苦悩を重ねて、未来への希望を紡ごうとしてきた。つまりパレスチナ人が捉える和平への希望と、占領による苦悩は次の公式で説明できよう。
希望=努力や苦悩+意味
つまりパレスチナにとって和平への希望とは、占領に苦しめられている苦悩に、いつか自由になれるという意味を加えたもの。それによって苦悩は、意味のある苦悩となる。しかし、そんな明日への希望を抱ける気持ちすら、トランプの和平案によって打ち砕かれた。
良い戦争はないと信じたいところだが、パレスチナの今の状況を見ると、圧倒的な力で抑えつけようとしているイスラエルに対して、力づくで平和を勝ち取るしかないとの考えが出てきても不思議ではない。しかし、それは危険な考えだ。そして、このように追い詰められた人間こそ、暴力やテロの一番の原因となる。パレスチナ人には大義があり、自分たちは追い詰められていると信じている。イスラエルにも大義があり、追い詰められていると信じている。トランプの和平案はイスラエルの大義を正当化し、パレスチナの民族自決権とその大義を否定するものだ。どちらもその大義によって相手への憎悪が増して、無差別に傷付ける......それに拍車をかけるのがトランプの新和平案だ。どうかこれ以上、パレスチナ人を絶望の淵へ追いやるのをやめてほしい。
