<戦地でも実測を続けた須田敦夫が追った、単なる「ハコ」を超えた文化施設としての劇場と日本建築について> 

日本の実演芸術は、能楽・歌舞伎といった伝統芸能をはじめ、外国文化を取り入れたミュージカルやダンスパフォーマンスなど、そのジャンルは多岐に亘(わた)る。近年は「みる」側にも「推し活」なる偏愛的活動が流行し、上演と鑑賞の構図も多様化しつつある。

そして、実演芸術を上演するための「ハコ」となる劇場も、日本特有の舞台装置を備えた形式から外国の技術に影響を受けたものまで、やはり様々である。

そもそも日本の劇場は一体いつから発生し、どのように発展したのだろうか。

ごく簡単に整理するなら、日本の実演芸術は、古くは宗教組織や上流階級の儀礼・娯楽として根付きながら展開していったので、その上演空間も宗教建築あるいは住宅建築の付属装置として、まずは舞台のみの状態から始まった。やがて、舞台と客席を備え独立した建築が歌舞伎の世界から現れ、その形式が後続のジャンルにも普及した、ということになる。

こうした過程から、日本の劇場の通史は古代・中世を主な時代区分とする「舞台史」から、近世以降を主要範囲とする「劇場史」へと移行する段階があるが、須田敦夫『日本劇場史の研究』(相模書房、1957年、本書は須田の戦死の後刊行された)は、その歴史を知るにふさわしい金字塔である。

本書の範囲は極めて長大で、古代に中国・朝鮮半島から伝わった伎楽や蹈歌(とうか)、平安時代の田楽といった十分な舞台形式をもたぬものから、鎌倉・室町期の能舞台発生を経て、安土・桃山期の能舞台成立、そして近世の歌舞伎劇場と芝居町成立に至る。

圧巻は「中国劇場建築史論」で、補論でありながらその量は本書の1/5を占める。須田は1937年に小隊長として中国へ出征した折、戦地にもかかわらず部下と共に劇場を実測したというから、須田は研究の並々ならぬ熱意を遠い中国大陸にも向け、そこでの経験を余すことなく活かした。

とにかく網羅性の高さには舌を巻くが、本書で特筆すべきは、須田による劇場の定義、そして劇場の歴史性に対する国際的視点にある。私がそう思うのは、劇場の語が中々厄介で、その呼称を用いることに、しばしば頭を擡(もた)げることがあるからだ。

江戸後期に書かれた銅脈先生『唐土奇談』によると、「唐には芝居といふ事を演場とも戯場とも劇場共抅欄とも戯臺ともいふ」とあり、中国において劇場の語は実演芸術の施設を指す様々な表現の一種であったという。