大学でホメロスの『オデュッセイア』を学んだ人は、おそらく古代ギリシャ語の形容詞「ポリュトロポス」を耳にしただろう。主人公オデュッセウスを表す枕ことばで、直訳するなら「多くの方向に曲がる者」となる。
叙事詩の英雄を特徴付ける言葉としては、かなり変わっている。だがホメロスが読者に注目させようとするのは、オデュッセウスの武勇よりも臨機応変な適応力。彼は変装の達人でもあり、状況を読むことにたけている。
『オデュッセイア』は手に汗握る冒険譚であると同時に、機転で勝利をつかむ「トリックスター」の物語なのだ。
ひねりの利いたプロットと知的な論理パズル、空間をねじ曲げる映像を愛してやまないクリストファー・ノーランもまた、「ポリュトロポス」な映画監督と言える。島から島へと旅するオデュッセウスのように、彼も30年近くサスペンスにSF、伝記物とジャンルを渡り歩いてきた。
最新作『オデュッセイア』は全編を超高解像度のIMAXカメラで撮影し、キャストに超一流のスターをそろえた製作費2億5000万ドルの超大作。だが主人公を自分に重ねたせいか、不思議とこれまでで最も個人的な思い入れの強さを感じさせる。
私はノーランの映画が大好きというより、その出来栄えに感心してきた。そんな私にとって、『オデュッセイア』は最愛のノーラン作品だ。
3時間近い本作を見て、まず印象に残るのはスケール感。とはいえ単に規模が大きいという意味ではない。トロイアの城壁や海は、その途方もない大きさで目を奪う。だが心に焼き付くのは、壮大な景色と小さな人間のドラマを同時に捉えたノーランと撮影監督のホイテ・バン・ホイテマによるカメラワークだ。
カメラが上空から映す大海原に比べ、波打ち際を一人歩くオデュッセウス(マット・デイモン)はいかにも小さい。島国イタケに王のオデュッセウスが構える城は壮麗だが、彼が故郷への帰還を切望する理由を映し出すのはむしろ、王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)のクローズアップだ。