オーストラリアのメルボルンにあるビクトリア国立美術館で最も多くの観客を集めた有料展の主役は、ゴッホでもモネでもピカソでもなかった。8月14日に97歳で死去した日本の現代美術家、草間彌生だ。2024~25年に開催された草間展には、同美術館史上最多の57万537人が訪れた。
彼女の展覧会は世界各地で多くの人々を魅了してきた。無限の鏡の間や果てしなく広がる水玉模様、踊るカボチャは人類史上最も多く写真に撮られたアートの一部であり、ポップアートやパフォーマンスアート、ファッション、映画やフェミニズムなど20~21世紀の幅広い表現に影響を与えた。
草間は1929年3月22日、長野県松本市の商家に生まれた。幼い頃から幻覚に悩まされ、10歳までには幻視に現れる水玉や網目模様を水彩やパステル、油彩で描いていた。
母親の虐待と父親の放蕩癖に苦しんだ子供時代はトラウマに満ちたものだったという。そんな中で逃げ場になったのがアートだった。
第2次大戦中には日本兵のためのパラシュートを縫う工場で働き、米軍機が頭上を飛び空襲警報が鳴り響く日々を経験した。その後、松本高等女学校を経て48年から京都市立美術工芸学校で日本画を学んだ。
50年頃までには日本国内で作品を発表し、一定の評価を得ていた。主に紙に描かれた作品は自然の形を抽象化した大型絵画が特徴だった。その後は水玉模様を床や壁、天井、さらにはアシスタントの裸体にまで広げていく。この反復するパターンを彼女は「インフィニティ・ネット(無限の網)」と呼んだ。
54年の絵画『花(D・S・P・S)』について、後に自伝にこう書いている。「ある日、机の上の赤い模様のテーブルクロスを見た後、目を天井に移すと、一面に、窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張りついている。部屋じゅう、身体じゅう、全宇宙が赤い花の形で埋め尽くされて、ついに私は消滅してしまう」
57年にアメリカへ渡り、ニューヨークを拠点に活動。大型絵画やソフトスカルプチャー(柔らかい素材で作られた彫刻)、鏡や電飾を使った環境彫刻を発表して高い評価を得た。60年代にはボディーペインティングショーや反戦デモなど数多くのハプニング芸術を展開。その表現はクレス・オルデンバーグやアンディ・ウォーホルらにも影響を与えたとされる。
アメリカ滞在中には心身の健康を崩し、自殺を図ったこともあった。73年に日本に帰国し、77年には自ら東京の精神科病院に入院。その後も病院で暮らしながら毎日アトリエに通い、驚異的なペースで制作を続けた。
草間は同時代で最も高く評価されたアーティストの一人となり、小説や詩、映画でも数々の賞を受賞した。だが彼女にとって創作は名声や成功のためではなく、自らを救うための手段だった。
2012年のインタビューで彼女はこう語っている。
「私は毎日、痛みや不安、恐怖と闘っている。それを和らげるために見つけた唯一の方法が創作を続けることだった。アートという一本の糸をたどり、どうにか生きていくための道を見つけた」
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Sasha Grishin, Adjunct Professor of Art History, Australian National University
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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