<感情の時代を予告した、思想家について。論壇誌『アステイオン』103号より「山崎正和の未来 意識から感情へ」を3回に分けて全文掲載。本編は後編>
※中編:山崎正和からは「演劇人」の匂いがしなかった…劇作家から身体の哲学へ から続く
意識から感情へ──『リズムの哲学ノート』が提起するもの
私はすでに述べたように1980年代半ばに1年半ほどニューヨークに滞在したが、そこで舞台芸術、なかでも舞踊──人類と同じほどに古い始原的芸術──の重大性に気づき、帰国して5年後の91年には、月刊『ダンスマガジン』を創刊するほどの舞踊狂いになっていた。
その過程で舞踊には批評がほとんど存在しないことに気づくことになった。日本だけではない。世界的視野に立っても、舞踊研究は遅れている。いや、音楽、演劇も含め、パフォーミング・アーツの研究はほとんど無きに等しいのだが、その理由の筆頭は、批評および研究の原則も方法も、いまなお確立されていないところにあることに気づいた。
そして、これがさらに重大なことなのだが、やがて、それはどうも舞踊批評どころではない、批評全般において批判や分析の基盤そのものが確立されていないこと、いまなおあやふやなままであることに起因していることに気づいたのである。山崎に倣って言えば、西洋は身体を長く等閑に付してきたのではないか、という疑いである。
私は1991年からほぼ20年間、『ダンスマガジン』の編集長を務めていた。立場上、主要な舞踊公演はほぼ残らず見なければならない。ダンサーやコリオグラファーにはインタヴューしなければならず、批評家には執筆を依頼しなければならない。主催者を励まし、持続するよう促さなければならない。
なかんずく、バレエ上演が可能な劇場の不足など関係者にとっての死活問題には、非力なりに全力で対応しなければならなかった。
私はその現場をじかに見て働く立場にあったわけだが、山崎はそうではなかったと思う。山崎が頻繁に劇場に足を運んでいるようには私には見えなかった。にもかかわらず、山崎は現状の困難を本質的に理解していたのである。それも私などよりはるかに透徹した眼で、である。
俯瞰する眼の高度が違っていたのだ。それは私には驚くべきことであった。舞台芸術批評の困難を西洋近代哲学批判の観点から浮き彫りにすることなど、余人にはおそらく想像もできないことだっただろう。
むろん、他国の舞踊批評はともかく──英米独仏それぞれ微妙に違う問題を抱えている──、日本に舞踊批評がないわけではない。だがそのほとんどは、報告と感想である。当然のことだが、報告と感想も無意味なわけではない。記録としても重要である。
だが本来は、そのときそこで起こった舞台上の出来事がいったい何であったか、どのような意味を持っていたのか、より広い文脈において明らかにするのでなければ、批評はほとんど意味をなさないのである。
とはいえ、人はまず舞台演技の細部すなわち手脚の動きに圧倒され、感動するのである。たとえば日本舞踊では、舞踊手が舞台下手から出て中央まで歩くその歩き方ひとつで、舞踊手の水準がたちどころに分かってしまう。
優れた舞い手の歩きは、重心が微動だにしないために背景が水平に移動しているように見える。背後の襖が、あるいは橋掛りの柱、松の枝のほうがすっと動いて見える。
かくして数秒の歩きに見物人はまず圧倒されるわけだが、その後の芸の展開はその水準に、まず間違いなく見合っているのである。優れた舞踊手は観客の期待を、ほとんど絶対に、裏切らない。とすれば、その芸の達成の度合だけでも書き留めておくことが必要ではないか、と思うのは自然なことである。
むろん易しいことではない。演者だけではない、見ているものの身体的な反応をも、いやむしろそれこそ書いておかなければならないからである。
なぜ、そういうふうに見えたのか、それがなぜ感動を惹き起こしたのか、見る側の身体の反応をも的確に分析しなければならないのだ。だが、そこにこだわればこだわるほど、たんなる業界内文書に終ってしまうのである。