話はここで終わらない。19世紀になって西洋諸国の文物がヤマトの国に到来するわけだが、それらは英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語といった新手のヴィーイクルに乗っている。

しかしヤマト民はもはや慌てない。かつての漢文ポルシェを乗りこなし、魔改造を施した技術を応用して、例えば西洋語の諸概念を漢語というパーツに置き換えて自分たちのものにしていく(柳父章氏の言う「カセット効果」で本当に理解したかどうかは別問題 (*1))。

その漢語は漢文ポルシェに乗せてアジア諸国に「和製漢語」として輸出される。さらには万葉仮名に起源を持つカタカナという宝刀を取り出して、カタカナ交じりのナイスでゴージャスでクリティカルな文章を量産していく。

漢字に魅入られたヤマト民

「漢字圏」として、漢字・漢文の高速道路が縦横に張り巡らされ、漢文ポルシェが駆け巡った東アジアであったが、気づけば中国・台湾を除いて、朝鮮半島もヴェトナムも漢字を使うのを止めてしまった。

しかしヤマトの人びとは、元の漢文ポルシェとは似ても似つかないヤマト製ヴィーイクルとしての漢字仮名交じり文(仮にヤマト・クラウンとでも呼んでおこう)を乗りこなしながら、漢字はまったく手放していない。

ここで、現代のヤマトの国に花開いたカオス的状況を指摘しておこう。それは固有名の表記とその読みである。そもそもヤマトの国の国号は「日本」であるが、その読みは「にほん」なのか「にっぽん」なのか定まっていない。もっと悲惨なのは、人名である。

例えば「神谷」「金生」には10種類、「新谷」「古家」「新家」には9種類、「角谷」「向田」「大家」「上平」「神代」「神門」「生越」「上垣内」「神立」「上家」には8種類の読みがあるという(*2)。

なぜこういうことが起こるかというと、漢字を見ただけでは音読みなのか訓読みなのか分からない上に、音読みであっても呉音なのか漢音なのか慣用音なのかその変化形なのか等々、一意に決められないからである(ちなみに私の姓「金水」の読みは「きんすい」。知らない人にはよく「かねみず」さんと呼ばれる)。

さらに下の名前となると、近年の「キラキラネーム」「ドキュン・ネーム」と言われる、自由な発想による読みが咲き乱れている。たとえば「皇帝(しいざあ)」「七音(ドレミ)」「愛夜姫(あげは)」など。

このような状況に至った理由としては、漢字の読みに日頃苦しめられているヤマトの民の一部が、「固有名なら自分で読みを決めていいのだ」と誤解して、世界に一つだけの名前を子供に授けようとしたためではないかとにらんでいる。

今までの常識にとらわれない名付け自体は構わないと思う。それを仮名で書いてくれる限りは。しかし漢字の読みを好き勝手に決めるのはできればほどほどにしてほしい。名前は社会的な資源であり、人様に読んでもらってこそ価値があるものだから。

しかし、多くの批判があっても漢字表記にこだわる人びとが絶えないのは、古代以来、ヤマトの人びとが漢文ポルシェ、つまり漢字・漢文の魔力に捉えられ、その魔法が未だに解けていないせいであろうと思うのである。

[注]
(*1 )柳父章 (1976)『翻訳とはなにか──日本語と翻訳文化』法政大学出版局
(*2 )日本の苗字を数える

 

 

金水 敏(Satoshi Kinsui)
放送大学大阪学習センター所長、大阪大学名誉教授。1956年4月大阪生まれ.1982年東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。大阪女子大学助教授、神戸大学助教授、大阪大学教授等を経て、2022年より現職。日本語文法の歴史的変化と役割語(言語のステレオタイプ)を研究している。日本学士院会員。著書に『ヴァーチャル日本語──役割語の謎』(岩波書店)、『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、新村出賞受賞)、『大阪ことばの謎』(SBクリエイティブ)ほか、編著に『〈役割語〉小辞典』(研究社)、『よくわかる日本語学』(ミネルヴァ書房)ほか。

 

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