この構造は、旧東ドイツ地域での極右支持の拡大などによく表れている。ドイツ統一後「支援する」「豊かになる」と言われ続けながら、実際は経済格差や人口流出が固定化した。
その一方で、政治やメディアは移民問題やグローバル化ばかり語っているように見えた。すると「フェアに扱われなかった」という感覚が「ならばこちらもフェアである必要はない」感情へ変わってゆく。
日本のロスジェネ世代にも、どこか似た空気がある。「努力すれば報われる」「真面目に働けば安定する」という約束を信じていたのに、実際には非正規化や停滞の中へ放り込まれた。その経験は「制度の理念への信頼低下」を生みやすい。
興味深いのは、この感覚が市民側だけでなく、権力側にも共有され始めているように見えることだ。政府や巨大企業もまた「正直に説明してもどうせ炎上する」「公平にやっても誰かが不公平だと言う」という諦めを抱えているようだ。
その結果、「多少無理のある説明でも、とにかく社会を回したほうがいい」という方向へ傾いてゆく。
つまり現在は「フェアであること」自体が政治的資源として弱体化している時代なのかもしれない。かつてなら致命傷になった矛盾や強引な説明が「まあそんなものだろう」で流される。
その一方、人々はますます不信感を強める。そしてその不信感が、さらに「フェアさ」への期待を壊してゆく。