最初の石油危機は56年、国内資源に対する主権を主張するエジプト政府がスエズ運河を国有化したことで始まった。イギリスやフランス、イスラエルは軍事介入で対抗したが、エジプト側は多数の船舶を運河に沈めてスエズ運河を封鎖。これで中東から欧州諸国への石油供給が絶たれ、しかもアメリカの支援が得られなかったので、欧州勢は屈辱的な撤退を強いられた。
いわゆる「スエズ危機」で、これは西欧諸国にとって、来たるべき未来を予感させる不吉な警告ともなった。当時、アフリカやカリブ海では新たに独立した国々が旧宗主国への服従を拒み、資源主権を主張して西インド諸島連邦(58~62年)やアフリカ諸国連合(58〜63年)などを結成し、地域的連携を模索していた。
これに対抗して結ばれたのが57年のローマ条約で、そこから欧州経済共同体(EEC)が生まれた。この条約はファシズム復活への予防線と解釈されがちだが、実は旧来の帝国主義的経済秩序に対する新興国からの反撃に備えるものでもあり、従来の植民地に「自治領」などの待遇を与えつつも参政権は認めず、経済面で旧宗主国に依存せざるを得ない状況を生み出した。
アメリカは当初「われ関せず」だったが、73年に2度目の石油ショックが起きると欧州勢との連携を明確にした。きっかけは第3次中東戦争で奪われたシナイ半島とゴラン高原を奪還すべく、エジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたことにある。このとき欧米諸国は一致してイスラエルを支持、対抗してOPEC(石油輸出国機構)は原油価格を大幅に引き上げ、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)はイスラエルを支持する諸国への石油禁輸に踏み切ったのだった。