この数年、「ポピュリズム」という言葉をよく聞く。大衆の要望をくんでそれを増幅、「自分ならその望みを実現できます」と言って(だまして)票を稼ぎ、権力を握った後は独裁──これがポピュリズムだ。
ポピュリズムは古代ギリシャの哲学者プラトンが、その大著『国家』で既に議論(批判)している。近くはソ連の共産党が「プロレタリア独裁」を標榜した(実際は経済は停滞し、わずかな富を少数のエリートが独占して終わった)し、現代の日本でも選挙のたびに新しいポピュリスト政党がバブルのように現れては消えていく。そしてほかならぬ高市政権も、アベノミクス再来の幻影で人々の期待をあおり、それに乗って登場したポピュリストの側面を持つ。
4月12日の議会選挙で大敗し、16年に及んだ権力を失ったハンガリーのオルバン首相も、ポピュリスト政治家の典型的軌跡をたどった。ハンガリーはもともとソ連圏では政治・経済の両面で最も民主的・市場経済的。この国が1989年5月、隣国オーストリアとの国境の鉄条網を撤去して東ドイツ市民の西側への流出を許したことが、東欧諸国の軒並みの民主化、ソ連圏からの離脱を誘発した。だがその後、ソ連圏から離脱し念願のEUに加盟した後は、自由化がもたらした格差への不満が高まり、オルバンはその不満をあおって政権に就き、その後、強権と縁故主義の政治を展開した。
ポピュリズム擁護論への反論
現在の西欧、そして日本のポピュリズムは、別の経路で生まれた。冷戦中は、どの国でも保守政党と左派政党(大企業の組織労働者をベースとする)が拮抗して政治を回してきたが、91年のソ連崩壊と、既に起きていた製造業の衰退で左派政党が後退。いくつものポピュリスト政党が登場した。
日本では、90年代のバブル崩壊後の経済停滞を打破することが基本課題となり、政権交代も起きたが、与野党とも安定した支持基盤が縮小し、ポピュリスト政党の台頭と盛衰を許すこととなった。「新自由主義」「格差」等々、生煮えのレッテルが飛び交い、政治のレベルを下げていく。
「ポピュリズムで何が悪い? 国民の声を実現するのに何の問題がある?」と言う人たちも多い。ここに問題がある。「国民の声」が何なのか、勝手に決めないでほしい。自分の願望に「国民の」という形容詞を付けるだけでは、不十分。
高市首相も「1人で改革」はできない
政治についての理解が初歩的で、まるで首相が優れた政治家なら「1人で」改革が実現できる、と思い込んでいることも問題だ。そしていま悲劇的なのは、高市首相がそれを正面から受け止め、独りで勉強して考えていることだ。
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【note限定公開記事】「国民の声」を勝手に名乗るな──ポピュリズム擁護派への反論
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