<アメリカ人が東京で初めて不動産を買ってみたら、驚くことばかり。ニッポンの常識は世界の非常識!?>
長年の賃貸生活を経て、いよいよ東京で中古の一戸建てを買うことにした。最初の印象では、日本の住宅購入システムは実に効率的に思えた。物件探しはオンラインがとっかかりやすい。経験豊富な不動産会社もあふれ、優秀な司法書士が書類作成から権利移転までを代行する。取引は定型化され、現金なら半月で完了する。
しかし、このスピードには代償がある。法的相談をする時間がほとんどないのだ。性善説でいいのか。『地面師たち』を読んだ以上、警戒せずにはいられない。積水ハウス事件のような詐欺に僕が遭う可能性は低い。だが、どうやって確信を持てばいいのか──。売主は本当にその人物なのか。不動産会社は明日、突然消えてしまわないのか。
人の人生でおそらく最も高額になるこの買い物は、実は多かれ少なかれ私にとっては既定路線のようなものだった。
アメリカへの移民の息子として、僕はいくつかの「暗黙の前提」と共に育った。
まず、僕の両親は、よほどの奇跡でも起きない限り、おそらく生涯で家を買うことはないと考えていた。それは、彼らの将来的な収入と、不動産の購入に伴う諸費用のためである。その代わりに、彼らは安定した家庭を築くことに注力した。そこから子供である僕と弟が、マイホーム所有という夢を思い描けるようにするためだ。そして、僕たち兄弟は大人になったら自ら家を買うべき──そんな期待も、「無言の約束」だった。
ところが、ドイツの首都ベルリンで過ごした数年で、僕の中に深く根付いた持ち家へのこだわりが揺らぎ始めた。そこでは、短期滞在者だけでなく、生まれも育ちもベルリンの裕福な層でさえ、何十年にもわたって賃貸を選び、家の購入を先延ばしにしたり、完全に回避するのが当然だった。