ザポリージャ出身のダーリャは戦争前の17年、クラマトルスク駅前で伝統的なウクライナのクリスマスキャロルを歌ったことがある。彼女が17歳のときだ。

雪がしんしんと降るなか、人々は足早に通り過ぎながらも静かに拍手してくれたものだ。クラマトルスクは底冷えのする、典型的な東部の街だった。

その後ダーリャは結婚して、クラマトルスクの南西に位置する炭鉱の町ドブロピリヤに移り住んだ。だが、夫のイェウヘンが入隊して、彼女もまた、定期的にクラマトルスクに通うようになった。

24年秋のある日、夫を訪ねたダーリャは、クラマトルスク駅に向かうバスを目的地の手前で降りて、落ち葉を踏みしめながら歩いて駅に向かう途中、駅周辺に驚くほど多くの子供たちが集まっていることに気付いた。そしてドブロピリヤまで、また1時間ほど独りでバスに乗った。

その1年後、ウクライナ政府当局は、ドブロピリヤをロシア軍の攻勢から防衛に成功したと発表。だが、ドブロピリヤからクラマトルスクまでのバスの道のりはずっと危険になった。

クラマトルスクとすぐ近くの要衝スラビャンスクを結ぶ鉄道も運行を停止したままだ。

それでも向かう人々