だからといって、犯した罪の重さは変わらない。あなたはそう思うはずだ。僕もそう思う。近代司法の原則の1つは罪刑法定主義だ。ある行為を犯罪として処罰するためには、犯罪とされる行為の内容と科される刑罰を立法府が制定する法令で前もって規定しておかなければならない。
それは世論や遺族の声の多寡で左右されてはならない。一国の首相も身寄りのないホームレスも命の価値は同じなのだ。
罪刑法定主義を踏み外した判決が近年は多いけれど、でも原則は守られねばならない。助命運動に影響されるべきではない。これは原理原則。
でもならばここで、もう少しだけ踏み込んで考えてほしい。命で償え。死刑を肯定する人は言う。生きて償わせろ。死刑廃止を求める人は言う。ならば僕は言う。どちらも違う。失った命は償えない。だからこそ人は人を殺してはいけない。
起きた事件は過去形だが、死刑は現在形だ。深く悔いて無抵抗な人を社会の合意で殺すことの意味は何か。遺族の気持ちを考えろと叫びながら、なぜ遺族をさらに増やさねばならないのか。
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