この年、神谷は全国の保守系の地方議員のネットワーク「龍馬プロジェクト」を立ち上げ、全国を回って人脈を拡大。そのネットワークは200人を超える規模に広がった。

心を打ち砕かれる経験となったのは、12年の衆院選に35歳で自民党から立候補した時のことだ。問題は、選挙にダブルスコアの大敗を喫したことではない。人気の維新の公認でかつ世襲の候補が出る大阪13区は神谷の地元ですらなく、出る前から負けは見えていた。無所属を貫いてきた神谷が躊躇しながらも自民党の出馬要請を受けたのには、安倍晋三との出会いに加え、もう1つ理由があった。

神谷が振り返る。

「自民党側から、党の公認は簡単にもらえるものじゃないんだと諭されたんですね。『土壇場で鉄砲玉みたいな形で協力するんだから、負けても次の選挙の公認をもらえばいい』と。そんなものかと思った」

ところが実際、次の選挙の準備を始めると、話が違っていた。

「お金を用意しないと出さないとかいろいろ条件が付いてきて。そんな約束はなかったし、お金もない。選挙の時に利用されただけになりますよね。私も人生を懸けて選挙区も変えて党公認で選挙に出たのに、それはないなあと思って......」

神谷は自民党を離党した。

「人を信じた私がばかだった。悔しかったですけどね」と神谷は言った。

龍馬プロジェクトも政党にはならなかった。メンバーからは政権党の自民党に擦り寄る者も出た。

負け犬を経験したからこその「勝ち筋」とは
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