ジョージア州以外では知名度の低い穴馬的な大統領候補だったカーターは、黒人有権者の圧倒的支持を得て、ルイジアナ、テキサス、オハイオ、ウィスコンシン、ミシシッピ、ミズーリ、ペンシルベニアといった州で現職のジェラルド・フォードに僅差で勝利。

第39代大統領として1期を務めた後、80年の選挙でロナルド・レーガンに大敗した。再選を果たせなかったことでカーターは政治的失敗の烙印を押されたが、多くの人々にとって彼の最大の遺産といえば公民権運動推進に対する功績だ。

在任中は黒人経営者の企業にも国との契約の門戸を開き、黒人の教育水準向上のために設立された「歴史的黒人大学」に対する支援を強化し、記録的な数の黒人を行政や司法の要職に任命した。

キング家のことも常に心にかけていた。

77年、カーターと妻のロサリンはキングの遺族をホワイトハウスに招き、キングに追贈する自由勲章をコレッタ夫人に贈呈。キングと彼の指導力を連邦政府が認めた初めてのケースだった。

さらに夫人が亡夫の功績をたたえて設立したキング・センターの建築費約350万ドルの調達に協力し、マーチン・ルーサー・キング国立歴史公園を建設する法案にも署名。コレッタを女性初の米国連代表団に、キングの親友・側近だったアンドリュー・ヤングを黒人初の米国連大使に指名した。

「勇気あるリーダーだった」
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