オウムを包囲するそうしたエモーションから、麗華はずっと標的とされてきた。その彼女を被写体にしたドキュメンタリー『それでも私は Though I'm His Daughter』。正直に書く。監督の長塚洋との付き合いは長いけれど、観る前にはあまり期待していなかった。

なぜなら麗華との付き合いも長い。試験に合格した大学から入学を拒絶されたとき、心身を喪失した父親の裁判が当然のように進行していたとき、何度も話を聞いた。教祖の娘として標的になり続けてきたからこそ、彼女のガードは固くなるし、こちらも公開後の波風などを予測して気遣いたくなる。

つまりドキュメンタリーの被写体には不向きなのだ。

でも観終えて、ここまで自らをさらすのかと驚いた。今も絶えない苦悩、慟哭、絶望、そして再生への希望。全てが等身大に明示されている。

本来なら被写体になどなりたくないはずだ。でも彼女は日本社会の今の歪(ゆが)みを表す鏡になろうと決意した。多くの人に観てほしい。多くの人は観るべきだ。

newsweekjp_20250520064609.pngそれでも私は Though I'm His Daughter

監督/長塚 洋

(6月14日公開)

<本誌2025年5月27日号掲載>

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