こうした現象はどの国にもある。だが、アメリカの個人主義は米社会の決定的な特徴であり、アメリカに特有の課題を生み出す。受け入れられた「真実」や部族主義、テクノロジーの変化、社会的「調整役」の消滅と相まって、社会のゆがみを悪化させている。

選挙権の拡大を通じて民主主義と個人の権利を広め、全ての社会階層を平等に近づけ、指導者を選ぶプロセスを民主化する──アメリカはこの建国の理念を誇りにしてきた。

だがリーダーシップの民主化は、リーダーの仕事を飛躍的に難しくする。かつて政党指導者は同僚政治家の選挙区向けに予算を振り向けることで(あるいは逆に予算の割り当てを拒否することで)、党内をコントロールできたが、もはやそれは不可能だ。政党は数十年前よりはるかに弱く、選挙で選ばれた議員は今ではほぼ独立したプレーヤーとなっている。

同様に意見や行動の形成を助ける社会的「調整役」が誰なのかについて、アメリカ人の意見はもはや一致しない。この変化がアメリカの「共通の物語」を摩耗させ、民主主義の機能を弱体化させている。

この歴史的なエリートの凋落と、倫理観と事実に関する相対主義の蔓延は、ある意味で「全ての人間は平等に造られた」と1776年の独立宣言でうたわれたアメリカの理想の究極の姿でもある。だが、合衆国憲法に大きな影響を与えたフランスの思想家モンテスキューはこう警告していた。

「民主主義の原理は、平等の精神を失ったときだけでなく、極端な平等に走り、一人一人が指導者として選んだ人間と平等な存在になりたいと願ったときにも堕落する」

トランプ時代はこの予言どおりの麻痺と混沌をもたらした。現代アメリカでは、政治における専門知とヒエラルキーが破壊され、意見の多様性と客観的事実を確認するための社会的「調整役」が機能していない。

この傾向はトランプ個人に限った話ではない。「バイデン大統領」と全てのアメリカ人は、建国の理念の行き過ぎと、テクノロジーと現代の社会規範が生み出した社会と政治の断片化によって麻痺した社会に対処しなければならない。

アメリカは今も活気にあふれ、ダイナミックで、常に変化し続けている。しかし、建国の理念の行き過ぎによって麻痺あるいは衰退していく社会は、少なくとも1つの重要な意味で退廃的と呼ぶしかない。

<2020年11月17日号「米大統領選2020 アメリカの一番長い日」特集より>

アメリカでは誰もが固唾をのんで大統領選の開票状況を見守り、ドナルド・トランプ大統領の──そして連邦議会選での共和党の──思わぬ強さに驚きを感じずにいられなかった。
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