コラム

注射するだけで避妊効果、手術は不要──ネコの遺伝子治療成功の意義と問題点

2023年06月13日(火)18時20分
地域猫

ネコや愛猫家にとって「夢の技術」に?(写真はイメージです) GoodLifeStudio-iStock

<メスネコに注射するだけで長期間の避妊効果が得られる新たな方法が開発された。遺伝子治療による避妊法をネコに施すことで期待できる3つの保護効果とは? 方法の詳細、問題点とあわせて概観する>

米ハーバード大のデビッド・ペピン博士とシンシナティ動物園・絶滅危惧動物保護研究センターの研究チームは、メスネコに注射するだけで長期間の避妊効果が得られる新しい不妊処置法を開発しました。

これは、無害なウイルスに卵胞の成長を抑制する遺伝子を組み込んで個体に導入する遺伝子治療の手法で、研究成果は6月6日付けの学術誌「nature communications」に掲載されました。実験に使われたネコは6匹とまだ小規模な試験の段階ですが、ニューヨーク・タイムズも報じるなど注目を集めています。

研究機関の「絶滅危惧動物保護研究センター」の名称が示すように、この研究はアメリカではノネコ(イエネコが野生化したもの)が増えすぎて、毎年250億匹以上の小型鳥獣が狩りの対象となっていることが発端となって進められました。

けれど、もしこの方法が日本でも使われるようになれば、飼い猫の避妊手術の代わりに使うことで、ネコの身体の負担や飼い主の金銭的な負担を減らせるかもしれません。さらに現在は特定の飼い主がいない地域猫(ノネコ・野良猫)は、増やさないためにボランティアが一匹ずつ捕まえて獣医師のもとに連れて行って避妊去勢手術を受けさせていますが、もっと手軽にバース・コントロールができるようになって、殺処分数を減らせるようになるかもしれません。

遺伝子治療による避妊法は、ネコや愛猫家にとって「夢の技術」なのでしょうか。方法の詳細や意義、問題点を概観してみましょう。

1度の処置で長期的な効果を得られる可能性

ネコの避妊手術に遺伝子治療を利用することを思いついたペピン博士は、もともとはヒトの卵巣がんの治療法に役立てるために「抗ミュラー管ホルモン(AMH)」を研究していました。

AMHは、子宮や輸卵管など女性生殖器の原型であるミュラー管の発育を抑制する作用があり、胎児の男性生殖器の発達に重要な役割を果たしています。また、思春期以降の女性では月経周期ごとに複数の原始卵胞が発育しますが、排卵にたどりつく主席卵胞は1個だけです。AMHに、主席卵胞以外の原始卵胞の発達を抑制する効果があるからです。

ペピン博士は、AMHをメスのマウスに注射してみました。すると、投与量が一定の値(しきい値)を超えると、卵胞の成長が抑制されたり、卵巣が新生児サイズまで縮小して妊娠できなくなったりました。この事実はヒトの卵巣がん治療には好ましくありませんでしたが、うまく使えばAMHを避妊に使えることを意味していました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調

ビジネス

米フォード、4月の米国販売は16%増 EVは急減

ワールド

米イラン核協議、3日予定の4回目会合延期 「米次第
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story