最新記事
イラン攻撃

ホルムズ海峡封鎖、石油危機より怖い「肥料ショック」

How the Iran war could create a ‘fertiliser shock’ – an often ignored global risk to food prices and farming

2026年3月9日(月)17時35分
ニマ・ショクリ(国連大学応用工学教授)、サロメ・M・S・ショクリ=キューニ(同環境工学講師)
アルゼンチンのトウモロコシ畑

ホルムズ海峡封鎖が長引けば、世界の食料生産に大きな影響が及ぶ(写真はアルゼンチンのトウモロコシ畑) Patricio Murphy / SOPA Images via Reuters Connect

<世界は湾岸諸国に、燃料だけでなく肥料も依存している。封鎖が長引けば、石油よりも世界の食料生産が危機に陥る可能性がある>

イラン攻撃を巡る最新のエスカレーションとして、テヘランはホルムズ海峡を通過する船舶の運航を事実上封鎖する方向だ。

市場はすでに反応している。焦点となっているのは、石油やガスの輸送へのリスク、原油価格の上昇、そしてそれに続くインフレ圧力だ。

こうした懸念はもっともだ。しかし、それは問題の一部にすぎない。ホルムズ海峡の通航が長期間にわたり混乱すれば、エネルギー危機だけでは収まらない。食料生産に不可欠な肥料の価格が急騰し、世界の食料安全保障に直接打撃をもたらすことになる。

現代の農業は、太陽光や土壌だけで成り立っているわけではない。天然ガスを原料にした窒素肥料に大きく依存している。

その基盤となったのが、20世紀初頭にドイツの化学者フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが開発した窒素固定法だ。この技術によって、天然ガス由来のメタンからアンモニアを合成し、さらに尿素などの窒素肥料を大量生産できるようになった。尿素は現在、世界で最も広く使われている窒素肥料である。

こうした肥料によって作物の収量は大きく高まり、現在の世界人口を支える食料生産が可能になった。もし窒素肥料がなければ、小麦、トウモロコシ、コメの収穫量は大幅に減少する。

尿素の約3分の1がホルムズ海峡を通過

世界で取引される尿素の約3分の1がホルムズ海峡を通過している。ペルシャ湾岸が世界の肥料生産の中心になっているからだ。

ペルシャ湾岸では、アンモニア生産に不可欠な天然ガスが世界で最も安価に手に入る。またカタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などの湾岸諸国には、長年にわたる巨額の資本投資によってアンモニアと尿素の生産能力が築かれてきた。

生産設備は輸出市場を前提に整備されており、世界で取引される窒素肥料の相当部分と、さらには世界各地の肥料工場を動かす液化天然ガス(LNG)も、ホルムズ海峡を通過せざるを得ない。

海峡が閉鎖されれば、石油やガスの輸出だけでなく、窒素肥料そのもの、そしてそれを生産するための資源の物流も脅かされる。

直ちに影響を受けるのは、アンモニア、尿素、LNGの輸送だ。完全に停止するか、あるいは運賃や保険料の上昇によって採算が合わないほど高コストになるかもしれない。だがより深刻な影響は、数カ月後、世界各地の農場で現れる。

北半球では、作付けシーズン前に肥料の購入が急増する。数週間の遅れでも混乱を招くが、数カ月の遅れとなれば影響は決定的だ。肥料が予定通り到着しなければ、農家は厳しい選択を迫られる。高くても買うのか、施肥量を減らすのか、あるいは作物の種類を変更するのか。

作物の生育特性から、窒素投入量をわずかに減らすだけでも収量は大きく落ちる可能性がある。数百万トン規模の作物が失われる恐れもある。影響は世界のサプライチェーンに広がり、飼料市場、畜産、生物燃料、そして最終的には食品の小売価格にまで波及する。

肥料の自給は困難

肥料を国内で生産している国もあるが、燃料は輸入している場合も多い。例えばインドは、国内の尿素工場を稼働させるためにペルシャ湾からのLNG輸入に大きく依存している。ブラジルも、大豆やトウモロコシの生産を維持するため、窒素肥料やリン酸肥料の輸入に大きく頼っている。

世界最大級の肥料生産国の一つである米国でさえ、地域需要を満たし価格を抑えるため、アンモニアや尿素を相当量輸入している。

もともと肥料の使用量が低いサハラ以南のアフリカでは、価格がさらに上昇すれば使用量は一段と減り、収量の低下と食料不安の拡大につながる可能性が高い。

このシステムの脆弱性は窒素だけではない。硫黄も肥料の重要な原料だが、その多くは石油や天然ガスの精製過程で生じる副産物として供給されている。ホルムズ海峡を通るエネルギー輸送が混乱すれば、石油やガスの処理量が減り、硫黄の供給も落ち込む。

つまりこのショックは肥料の輸送を止めるだけでなく、原料そのものを不足させ、湾岸以外の地域でも肥料の増産を難しくする。

一方、窒素肥料の生産はエネルギー市場と密接に結びついている。窒素肥料は、天然ガスからアンモニアを合成し、それを原料として製造されるためだ。こうした工業的に生産される窒素肥料は「合成窒素肥料」と呼ばれ、現代の農業を支えている。

天然ガスの供給やアンモニアの国際取引が混乱すれば、世界の窒素肥料の供給は直ちに制約を受ける。推計によれば、こうした合成窒素がなければ、世界は現在の人口の一部しか養えない可能性がある。

つまりホルムズ海峡は、エネルギー安全保障と食料安全保障が交差する地点にある。

不確実性の中で作付けを決めることになる

短期間で肥料の生産拠点を別の地域に移すことはできない。新しいアンモニア工場の資金調達や建設には数年かかる。重要な地域からの輸出が2ケタ以上減少した場合、その穴をすぐに埋めることはできない。

その間、価格は上昇し、貿易ルートは変わり、農家は不確実性の中で作付けを決めることになる。食料価格のインフレは、これまでも社会不安を引き起こしてきた。それがさらに強まる可能性もある。

中央銀行は主に燃料価格主導のインフレに注目しているため、肥料不足が全体の物価に与える影響を過小評価する可能性がある。

重要なのは、肥料ショックは石油ショックほど即座に可視化されないことだ。ガソリン価格は一夜で変わる。だが作物の収量が明らかになるのは数カ月後になる。それでも後者の方が、より大きな混乱を招く可能性がある。

ホルムズ海峡が封鎖されれば、世界中でエネルギー価格だけでなく食料価格が上昇し、生活費の構造そのものが変わる可能性がある。

1970年代の石油ショックが世界に石油禁輸の恐ろしさを教えたとすれば、今度は肥料ショックの恐ろしさを思い知ることになる。

エネルギー市場は備蓄や代替によって衝撃を吸収できる。しかし世界の食料システムの緩衝力ははるかに小さい。ホルムズ海峡で長期的な混乱が起きれば、それは単に原油価格を押し上げるだけでなく、現代の農業を支える窒素肥料の供給システムそのものが試されることになる。

石油は自動車を動かす。窒素は作物を育てる。ホルムズ海峡が閉鎖されれば、原油よりも食料の方が深刻な打撃を受けるかもしれない。

The Conversation

Nima Shokri, Professor, Applied Engineering, United Nations University and Salome M. S. Shokri-Kuehni, Lecturer in Environmental Engineering, United Nations University; Technical University of Hamburg

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.



【関連記事】
【原油価格100ドル突破】「イランの石油が供給危機を緩和する」──ホワイトハウス高官
【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗雲...専門家「イランの反撃はこれから」「報道と実態にズレ」


【随時更新】トランプ2.0
▶▶▶日々アップデートされるトランプ政権のニュース&独自分析・解説はこちらから

ニューズウィーク日本版 教養としてのミュージカル入門
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2026年3月17号(3月10日発売)は「教養としてのミュージカル入門」特集。社会と時代を鮮烈に描き出すポリティカルな作品の魅力[PLUS]山崎育三郎ロングインタビュー

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら



まちづくり
川崎が「次世代都市モデルの世界的ベンチマーク」に──「世界に類を見ない」アリーナシティプロジェクトの魅力
あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、カーグ島再攻撃を示唆 イランとの取引「

ワールド

UAEフジャイラで石油積載一部停止、無人機攻撃受け

ワールド

トランプ氏 、 ホルムズ海峡に多くの国が軍艦派遣と

ワールド

EXCLUSIVE-トランプ政権、イラン停戦交渉を
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのミュージカル入門
特集:教養としてのミュージカル入門
2026年3月17日号(3/10発売)

社会と時代を鮮烈に描き出すミュージカル。意外にポリティカルなエンタメの「魔力」を学ぶ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製をモデルにした米国製ドローンを投入
  • 2
    有人機の「盾」となる使い捨て無人機...空の戦いに革命をもたらす「新世代ドローン」とは?
  • 3
    イラン攻撃のさなか、トランプが行った「執務室の祈祷」を中国がミーム化...パロディ動画が拡散中
  • 4
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 5
    ファラオが眠る王家の谷に残されていた「インド系言…
  • 6
    「映画賞の世界は、はっきり言って地獄だ」――ショー…
  • 7
    機内で「人生最悪」の経験をした女性客...後ろの客の…
  • 8
    ショーン・ペンは黙らない――「ウクライナへの裏切り…
  • 9
    ホルムズ封鎖で中国動く、イランと直接協議へ
  • 10
    世界の視線は中東から日本へ...企業主導で築くインド…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」と言われる外国特派員の私が思うこと
  • 4
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 5
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 6
    職業別の収入に大変動......タクシー運転手・自動車…
  • 7
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開さ…
  • 8
    ショーン・ペンは黙らない――「ウクライナへの裏切り…
  • 9
    世界の視線は中東から日本へ...企業主導で築くインド…
  • 10
    40年以上ぶり...イスラエル戦闘機「F-35I」が、イラ…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 5
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 6
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 7
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 8
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中