最新記事

往復書簡

英国の反EU感情は16世紀から――ビル・エモット&田所昌幸

2016年12月27日(火)18時02分
ビル・エモット、田所昌幸(※アステイオン85より転載)

asteion_correspondence-sub.jpg

田所昌幸(左)、ビル・エモット(右、Photo: Justine Stoddart)の両氏

 これに加えてイギリスの憲法上の伝統がある。イギリスには成文憲法はないが、その代わりに主権が議会にあるという原則がある。一七世紀のイギリスの大政治思想家ジョン・ロックの時代にまで遡れるこの我々の伝統では、人民は代議制度に従って、すべての権力を自分たちが選出した議員に委ねることになっている。ただし例外があって、それは議会の議員たちが決定を下すことが出来ず、自分たちの持っている立法権を他の主体に移すときだ。イギリスが一九七三年にECに加盟したときに実際にこれが起こって、結局政府は一九七五年にEC加盟をめぐるイギリス史上最初の国民投票を実施せざるを得なくなった。

 マサユキ、長くなってしまったがこの問題は複雑なのでしょうがないんだ。ここで不思議なのは、一九七五年にはイギリス人が圧倒的に加盟を支持していたのに(賛成六七%、反対三三%)、今回六月には僅差ながら離脱が多数派になった(残留支持四八・一%対離脱支持五一・九%)のはなぜかということだ。ここで現実的な問題が作用する。歴史的要因によって形成されているのは、イギリス人がEUに全く愛着を感じてはいないという態度だ。しかし一九七五年には大多数がECとの関係が必要だと考えていた。なぜなら、イギリスは経済的に弱体で(当時は「ヨーロッパの病人」とまで言われていた)、他方ドイツやフランスの経済は強力だったからだ。イギリスは当時好調だったECというプロジェクトに一枚かんでおく必要があったわけだ。しかし二〇一六年の今、過去五年に及ぶユーロ圏の一部諸国の債務危機のおかげで、大陸ヨーロッパ諸国の経済は弱体化しているのに対して、イギリスは自国経済がより強力だと感じている。経済が強力だからこそ職を求めてやってくるヨーロッパ大陸からの移民の目にはイギリスが魅力的に感じられるのだけれど、そのことが今回のEU離脱をめぐる国民投票で、離脱派有利にバランスが傾くのにも一役買ったのだろう。実のところ移民は、イギリスにとってそれほど大問題ではないのだけれど、多くのイギリス人の所得が二〇〇八年のリーマン・ショック後に低下しているタイミングでは、ポピュリストの政治家の格好の攻撃目標になってしまった。イギリスがEU加盟国である限り、EU市民の流入に制限をもうけるなどということは、(イギリス市民がEU内のどこに住むのも同様に自由なのだから)論外だ。今となっては、イギリス史上たった三度目の国民投票でEU離脱を決めたのだから、イギリスとしてはこれを具体的にどのようなものにするのかに取り組まざるをえない。政治的にも、経済的にもそして戦略的にもね。

From ビル・エモット


ビルへ

 国内政治に少し目を移すと、イギリスの二大政党制はずっと日本人にはいわば目標とすべきモデルだった。でも今となっては、怪しくなった感じだ。なんといっても、保守党、労働党の両方の党首がEU残留を訴えたのに、国民投票で敗れてしまったのだから。既存の二大政党のいずれもが、十分に国民の意思を反映し集約できないし、だからといってイギリスを統治できそうな新たな政党もまだ姿が見えない。大体EU離脱を声高に訴えていたリーダー格の、ナイジェル・ファラージやボリス・ジョンソンが、イギリスのEU離脱を指導する責任を回避したのは皮肉な話だ。新首相のテリーザ・メイは残留派で、彼女がEUとの離脱交渉を指導するのだが、どうやら離脱の影響を最小限に留めようとしているように見える。だったら、そもそもどうして離脱しないといけなかったのかという気持ちもする。国民投票の結果は、少しばかり日本の憲法九条に似ていないでもなくて、厳格に実行することも簡単に無視することもできないという厄介なものだ。ともあれ教えて欲しいのは、イギリスのEU離脱によって、イギリスの二大政党制は終わりの始まりの局面が始まったのかどうか、もしそうならこの次に来そうなものは、いったい何なのだろうか。

From 田所昌幸


(この両者のやりとりは、二〇一六年七月後半に行われた。なお、英語の原文はwww.suntory.com/sfnd/asteion/correspondence/index.htmlで公開している。)

※往復書簡・後編:英離脱後のEUは経済とテロ次第――ビル・エモット&田所昌幸

【参考記事】欧州ホームグロウンテロの背景(1) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く

ビル・エモット(Bill Emmott)
1956年ロンドン生まれ。オックスフォード大学卒業後、英エコノミスト入社。1983年から3年間東京支局長として日本と韓国を担当、1993年に同誌編集長。2006年にフリーとなり、現在、国際ジャーナリストとして活動している。主な著書に『日はまた沈む――ジャパン・パワーの限界』(草思社)、"Good Italy, Bad Italy"(Yale University Press)などがある。

田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授を経て慶應義塾大学法学部教授。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。


※当記事は「アステイオン85」からの転載記事です。

asteionlogo200.jpg






『アステイオン85』
 特集「科学論の挑戦」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米ADP民間雇用、8月は5.4万人増 予想下回る

ビジネス

米の雇用主提供医療保険料、来年6─7%上昇か=マー

ワールド

ウクライナ支援の有志国会合開催、安全の保証を協議

ワールド

中朝首脳が会談、戦略的な意思疎通を強化
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 7
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 8
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 9
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中