コラム

「人種のるつぼ」としてのアメリカを見つめ直す、『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

2018年10月19日(金)16時45分

『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』 (C) 2015 Moulins Films LLC All Rights Reserved

<ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンが、ニューヨークのクイーンズにある街の営みを見つめ直すことで見えてくるもの>

アメリカを代表するドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンが作り上げた3時間を超える長編『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』は、ニューヨークのクイーンズにあるジャクソンハイツという町の営みを徹底して見つめることで、"人種のるつぼ"としてのアメリカを見つめ直そうとするような作品だ。

ジャクソンハイツとはどんな町なのか。ワイズマンの映画にナレーションはないが、その導入部に登場するジャクソンハイツ在住のニューヨーク市議会議員ダニエル・ドロムのスピーチのなかに、こんな言葉がある。

「ここは世界で最も多様な人々が住む町です。何しろ167カ国語が話されているんですから。私たちが成し遂げた成果に誇りを持ちましょう」

町にあるモスクや教会では、信徒が説教に聞き入る。通りやクラブ、レストラン、ダンス教室、コインランドリーなどでは、ジャズ、マリアッチやサルサ、インド音楽、アラブ音楽など様々な音楽が響く。露店には、色とりどりの野菜や果物、花々が並ぶ。

多様な移民の人口が増加してきた歴史

ジャクソンハイツには、様々なマイノリティの人々が暮らし、多様性に満ちている。しかし、引用したドロム議員の発言でもうひとつ見逃せないのが、「私たちが成し遂げた成果」という部分だ。ジャクソンハイツは昔からこのような町だったわけではない。その成り立ちには、開発業者が予想もしなかった出来事が大きな影響を及ぼしている。

クイーンズのこの一帯は、1909年にクイーンズボロ橋が完成し、さらに1917年に現在の7号線にあたる地下鉄が開通して、マンハッタンへ30分もかからずに行けるようになったことで、開発が本格化した。

ジャクソンハイツを手がけたクイーンズボロ・コーポレーションが目指したのは、上層中流階級のエリートのコミュニティで、テニスコート、ゴルフコース、クラブハウスなどを備えたアパートは、当時のニューヨークで最も高価な住居だった。その住人はアングロ・サクソン系のプロテスタントに限られていた。

しかし、1929年の株価大暴落に端を発する景気後退によって、計画に狂いが生じる。その打撃は、当初から中流階級や労働者階級のコミュニティを目指して開発を進めた他の町よりもはるかに大きかった。アパートは売れなくなり、仕事や資産を失った住人は、アパートを手放すしかなかった。やがて開発業者は、空洞化に歯止めをかけるために、広いアパートを分割し、公園やテニスコートがあった場所に安価なアパートを作るようになる。

そんな町は、第二次大戦後の好景気の時代を迎えても、当初の価値を取り戻すことができなかった。その頃には、ハイウェイなどが整備され、さらに遠方に新たな郊外住宅地が開発されていた。そこで、ふたつの出来事が絡み合うことで、町は大きな変貌を遂げていく。ひとつは、ジャクソンハイツで成長した新しい世代が、遠方の郊外へと流出していくようになったことだ。もうひとつは、1952年と1965年の移民法改正で、より多くの移民に門戸が開かれるようになったことだ。

こうした背景から、ジャクソンハイツでは多様な移民の人口が増加していく。40年代にはユダヤ系やアイルランド系の移民が、50年代には、祖国の混乱と暴力を逃れた中流のコロンビア系、さらにバチスタ独裁やその後の革命政権から逃れたキューバ系の移民が流入した。その後も移民は増加していくが、それでも70年代半ばまでは白人が多数派を占めていた。町が現在のような人口の構成に近くなるのは、80年代から90年代にかけて、中南米からの移民が多様化し、南アジアの国々の移民が流入してからだ。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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