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論壇誌『アステイオン』103号の特集「発信する日本文化──伝統と可能性」をテーマに行われた熊倉功夫・MIHO MUSEUM館長、桑原ゆう・国立音楽大学准教授、村田吉弘「菊乃井」三代目主人と佐伯順子・同志社大学教授による座談会より。本編は前編。
佐伯 大阪・関西の地で55年ぶりに万国博覧会が開催された2025年、日本文化をいかに世界へ発信していくかを改めて考える機会になればと思い『アステイオン』103号の特集で「発信する日本文化──伝統と可能性」を企画し、責任編集を務めました。
本日はお茶、お料理、音楽の分野の第一線でご活躍されている先生方にご参加いただきました。まずは読者代表として熊倉先生から『アステイオン』のご感想、お気づきの点などうかがえますでしょうか。

熊倉 先日、50年以上前に住んでいたアメリカ・ケンブリッジを訪れる機会がありました。驚いた点は、当時の家も町並みもほとんど変わらず残っていたことです。アメリカやヨーロッパは住まいや生活に関しては保守的なんですね。
対して、日本ではこの半世紀で街の姿も暮らしも大きく変化してしまいました。建物が変わるということは、そこで営まれる生活も変わるということです。
畳が姿を消し、床の間もちゃぶ台もなくなり、ダイニングテーブルとソファーが並ぶ空間へと移り変わりました。生活様式が変化するなかで、何を失ったのかということを考えさせられました。
このように少し悲観的な気持ちになる一方で、ただそうした変化を単に否定するのではなく、「何に新しく生まれたのか」を考えることが、これからの文化を考える出発点になるとも感じています。
佐伯 文化財として有名な茶室は保存されますが、かつて西陣の旦那衆の家に当然のようにあった茶室での日常のもてなしの空間も減り、洋間の応接間へと置き換わっているとうかがいます。そうした変化に日本社会はあまりにも無自覚になっている点もありますね。今号の特集の中で気になった論考はおありでしょうか?
熊倉 とりわけ印象的だったのは、桑原ゆうさんの論考「日本音楽の本質とは」です。日本音楽の本質は日本人の身体感覚の中に根づいており、鍵となるのは「日本語の身体性」という視点です。
言語が思考をかたちづくり、知覚や感覚、身体の働き方にまで影響を及ぼすとすれば、英語と日本語では世界の捉え方そのものが異なる可能性があります。
私の兄は、かつて『日本人の表現力と個性』という本を著しました。日本語は英語に置き換えられない、両者は本質的に翻訳不可能だと主張しました。あまり賛同は得られず、本もほとんど売れなかったのですが(苦笑)、私はその考えに強く共感しています。
ですから、桑原さんのご論考から日本語は単なる言語ではなく、感覚や感性の土台となるものであること。そして、私たちがこの言語で思考し、語り、表現することが、日本文化の核心にあるということに改めて気づかされました。
変化の時代だからこそ、日本語をはじめとする文化の根幹に目を向け、次代へどう繋いでいけるかを皆さんにうかがいたいと思っています。
佐伯 村田先生には本特集にコラム「日本料理の可能性」をご寄稿いただきました。先ほどの議論も踏まえつつ、ご論考の問題意識についても、改めてお話しいただけますでしょうか。
