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お墓はいらない、埋葬後に遺族は遠い場所へお引越し...ブッシュマンの驚きの「弔い方」とは?

2026年03月18日(水)11時00分
杉山由里子(就実大学人文科学部講師)

狩猟採集生活を営んできたブッシュマンに対して、ボツワナ政府は近代化政策を実施し、政府が作った村に彼らを定住させてきた。コウガエおばあちゃんも、2002年に政府が作った村に移住した。

これによってブッシュマンは、生活環境の劇的な変化を経験してきた。生業も大きく変化し、狩猟採集は禁止され、政府からの配給に頼らざるを得ない状況になっている。このような生活の変化の中で、ブッシュマンは墓を作るようになったり、葬式をするようになったりと、死の場面も大きく変化している。

このように書くと、近代化の波に抗えない少数民族という、日本でよく持たれるアフリカのイメージを再生産してしまっていないか不安である。確かに、ブッシュマンの新しい村での生活は、一見すると、"移動"によって成り立っていた狩猟採集生活のかけらもない。

だが、彼らの住み方を長年にわたり見ていくと、人が亡くなったタイミングで"引っ越し"をする家族がたくさんいることに気が付いた。政府が作った村より、ずっと遠くの原野の中に移る家族もいた。

それは制度上許されたことではないのだが、「政府が配った家畜の世話をするために、村を離れて遠くに住みます」といったような、様々な理由を上手くつけて、「埋葬後の移動」と「窮屈な政府の村から離れる」ということを同時に達成していた。

よって、葬送儀礼という彼らの死の形式は大きく変化したが、日常における弔いは、現状に合わせて彼らなりに修正しながら続いているのではないかと思う。

ブッシュマンにとって、埋葬後の移動は、故人と共に生者の喪失感をその地に預けて前に進むことを意味した。

埋葬した場所がやがて分からなくなるように、喪失の感情も歩みと共に忘れていくものであった。残された者たちは、埋葬後の移動にはじまる日常生活によって死者のことを諦め、忘れるともなく忘れていった。

「葬送儀礼」つまりお葬式やお墓など、私たちはいかに死者を記憶するかに注力してきた。けれど、「日常の弔い」を振り返ってみると、死者のことをゆっくりと諦めたり忘れたりすること(忘れるともなく忘れること)も、とても大切なのだと感じる。


杉山由里子(Yuriko Sugiyama)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科にて博士課程を修了。専門は地域研究、文化人類学。大阪教育大学附属池田小学校の事件をきっかけに、死と向き合うことについて考えてきた。論文に「弔いのディスタンス:ブガクウェ・ブッシュマンの死との向き合い方の変遷」(『文化人類学』87:2)、「セントラル・カラハリ・ブッシュマンにおける社会再編と葬儀 : 生と死をめぐる変化への対応」(『生活學論叢』40)、「柔軟な死の受容 : ブッシュマンにおける死生観の変化を事例に」(『死生学・応用倫理研究』26)など。


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  『アステイオン』103号
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