
埋葬後に居住地を移動することは、これまでのブッシュマン研究においても記録されてきた(写真2)。しかし、「葬送儀礼」に捕らわれてきた研究者たちは、この移動を「居住地の放棄」だと捉え、財産や相続という概念を持たない平等主義を特徴とするブッシュマンならではの慣習だと理解してきた。
しかし、おばあちゃんの話を聞き進めると、埋葬後の移動というのが、彼らにとっての「日常の弔い」であったことが分かった。コウガエおばあちゃんは、狩猟採集生活における死を次のように話す。
「私たちは彼らを埋葬した。一人が亡くなり、その人のことを忘れたずっと後に、次の誰かが亡くなる。私たちは彼らを埋葬した。埋葬して...、私たちは歩いて歩いて、草が私たちの足に触れる。コロロロ......コロロロ......と鳥が鳴く。"あぁフクロウが鳴いているね"って話しながら。そういうふうに、死んだ人のことを諦めて、忘れたの」
このように語る彼女は、母たちのことを本当に忘れたのではなく、もちろん鮮明に覚えている。人々は死んだ人のことを忘れるのでなく、人を失った痛みや情動を埋葬後の移動の中で整理し、諦め、思い出さないように努めていた。
居住地の放棄や墓を作らなかったことは、平等主義の問題ではなく、死者を鮮明に思い出させるものが望まれなかったからである。ブッシュマンの死との向き合い方とは、埋葬後の居住地の移動(歩み)という、日常生活の延長の中で弔っていくものであった。
この話を聞きながら、私は祖母との週末を思い出していた。故人のことを積極的に話したり思い出したりせずに、ただただこれまで通りに過ごす。確かにその人のことを覚えているけれど、あの人に会いたい気持ちを、少しずつゆっくりと諦めながら、忘れるともなく忘れていく。
コウガエおばあちゃんの話を聞いて、日本にはお墓参りがあるんだよと話す私に、その気持ちを知っている、と彼女は次のように話してくれた。
「埋葬した場所は、やがて草が生え、周りの景色と見分けがつかなくなる。けれど誰をどこに埋葬したかは鮮明に覚えている。母を埋葬したあの場所もそう。死んだ人と悲しい気持ちを砂に預けて、ずっと後で、そこに戻るのよ」。
狩猟採集生活を営んできたブッシュマンは、水や野生動物の分布に合わせて、非常に頻繁に広範囲な移動を行っていた。一方で、一つの居住地から次の居住地への移動のルートは一定していて、そこには小さな踏跡ができていた。
このように、居住地の移動のコースに一定のパターンが見られたのは、季節の変化による食用植物の分布や、居住に適した場所の知識に加え、かつて父をまた母を埋葬した場所という記憶とともに移動していたからだろう。
