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芸術

写真集は写真だけを見るものではない?...「爆弾」と呼ばれた『フォトグラフィ』が示す写真集の「もう一つの姿」

2025年07月09日(水)11時00分
礒谷有亮(神戸大学大学院国際文化学研究科講師)

アール・ゼ・メティエ・グラフィーク社の写真集『フォトグラフィ』

Arts et métiers graphiques 16 (Photographie) (March 1930) : 38-39. 写真:筆者提供

こうした写真は少し前だと「映える」写真として、インスタグラム等でファッション的に消費されそうなものだ。しかしこれらは元々は、日常見慣れたものをカメラの目を通して異化し、人々の視覚のあり方を刷新する革新的な手法として登場した。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの著名な論考、「技術的複製可能性の時代の芸術作品 」が象徴的に示すように、1920年代〜30年代は機械技術の浸透によって社会や産業、芸術のあり方が大きく変化した時期にあたる。

テクノロジーの発展は生活様式や日常風景の変化を引き起こし、人々の視覚や知覚もそれに合わせて変容を被る。

たとえばスマホ普及以前とその後では、ものの見方はもちろん、思考の方法まで変化したという読者は多いのではないだろうか。

機械であるカメラの目に依拠することで、慣習的なものの見方や人間の視覚の限界を超えたイメージを提示する「新しい写真」の諸技法は、機械化時代を体現する新たな表現のモードだったのである。

また、これ以前のフランス写壇では絵画や版画といった、より伝統的な芸術分野の作品に酷似した外観を呈する、19世紀的な芸術写真が支配的だった。

それに対して写真固有の視覚と技術にもとづく作品を収めた『フォトグラフィ』は、まさにそこに投下された「爆弾」であり、フランスにおけるモダニズム写真の隆盛を決定づける分水嶺ともなった。

ところで写真集に含まれるものは単に写真だけではない。それが1冊の出版物である以上、写真集はブック・デザインの面からも考慮される必要がある。こと『フォトグラフィ』に関して言えば、むしろその部分が中核をなしていたといっても過言ではない。

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