アステイオン

座談会

面白さも正確さも諦めない──アカデミック・ジャーナリズムの可能性

2022年02月10日(木)16時05分
梯 久美子+山本昭宏+武田 徹 構成:村瀬 啓(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

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2021年12月上旬に行われた座談会の様子

「アカデミック・ジャーナリズム」の今後

■武田 「アカデミズム」と「ジャーナリズム」の間に「アカデミック・ジャーナリズム」を入れて考えると、両者は今後どうなっていくとお考えですか?

■梯 新聞記事が紙からウェブに移行することで、長い記事が可能になり、書き手の力量が無残なまでにはっきりと表れるようになりました。メディアに所属して取材している記者の方々には、重厚で読むに値するものを是非書いてほしいと思います。その読むに値する長い文章を書くためにも、「知の訓練」が必要となると思います。

■山本 僕は、資本力のある雑誌社や新聞社が時間をかけてチームで調査する、調査報道に注目しています。やはりチームでやっている調査報道の強さは、アカデミシャンにはかなわないところです。歴史家ではできない、同時代的な報道のあり方として、非常に重要な実践だと思います。

■武田 調査報道の居場所をいかに確保するかはすごく重大な課題です。例えばスローニュース社のように、調査報道系の作品をサブスクで提供して、経済的に成立するように模索する例もあります。私はアカデミズムをベースにして、例えば科研に応募して研究費で共同取材チームを動かして調査報道ができないかと考えているのですが、アカデミズムにそういう試みを受け入れる余裕があるでしょうか。

■山本 昔に比べると、ジャーナリストとアカデミシャンとの交流、協働を作ろうとしている大学や先生方がかなり多くなってきているとは思います。その試みを助成したり評価したりする側の力量の方が問われていると思います。

■武田 梯さんはどうですか?

■梯 私は評伝書きですが、評伝は小説家も書くし研究者も書く。小説と論文の中間に位置するような、正確さと面白さを両立する評伝を書きたいと思っています。新事実を掘り起こして、研究史に付け加えたいという野心も持っています。

■山本 小説的なものと論文的なものという表現がありましたが、小説的なものが持つ分厚い蓄積を研究者は先行研究として挙げない場合が多い。その豊かな蓄積をアカデミズムの側がどう引き継ぐべきかを考えさせられるお話です。

■梯 昭和史でも、ノンフィクション作家の先輩たちが新しく発見されたことは、たくさんあります。

■武田 アカデミズムの内外という境界を超えて優れた調査や研究の成果を共有できるようになるといいですね。他にはどうでしょうか?

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