アステイオン

座談会

面白さも正確さも諦めない──アカデミック・ジャーナリズムの可能性

2022年02月10日(木)16時05分
梯 久美子+山本昭宏+武田 徹 構成:村瀬 啓(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

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梯 久美子/ノンフィクション作家

■武田 実際、編集者の役割というのがあって、その点を山本さんにお願いして今号に書いてもらいました。他にも気になった論考などありますか?

■梯 小川さやかさんが、座談会「『専門知』を『臨床知』で乗り越える」で、大宅壮一ノンフィクション賞を受けた『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社、2019年)は編集者から依頼されて書いたとおっしゃっています。

アカデミーとジャーナリズムをつなぐキーマンのような編集者は今もいるけれど、ある種の"目利き"であり、人間関係で引っ張ってくるという粕谷さんの時代とは違って、今はむしろお互いに影響を与え合う協働者という感じです。現在と比較して考えることができる座談会で面白かったです。

■武田 編集者の役割も時が経つにつれてと変わったということでしょうね。山本さんはどうでしょうか? 気になった論考などありましたでしょうか?

■山本 芹沢一也さんと武田さんの対談「一人の読者から社会は変わる」です。芹沢さんはインターネット上でアカデミック・ジャーナリズムを可能にする方法を模索してきた方です。また、巻頭論文「数と独立」で「数が公共性につながらない時代が来ている」という指摘をされた東浩紀さんもアカデミズムとジャーナリズムを行き来されてきた方ですよね。これからジャーナリズムを考えていくときに、紙媒体とネット媒体との使い分けは、書き手よりも編集者や記者のほうが戦略的に意識するところなのかなと思いました。

関連して、論壇記者の座談会「知のアリーナを支える」からも気付きを得ました。紙版では誌面の制約で記事が短くせざるを得ないけれど、ウェブ版では長めに載せられ、また読者からの手応えがあるという指摘がありました。紙とネットとの共棲のあり方はいまも変化の途上なのだなと感じながら、いま挙げた3つの論考を読んでいました。

■武田 東さんは、アカデミズムとジャーナリズムを結びつけるうえで大きな貢献をした方として、今回ご寄稿をお願いしました。私自身はアカデミズムとジャーナリズムの間に「アカデミック・ジャーナリズム」が入るイメージで特集を組んでいたのですが、実際に頂いた原稿は「両方の外」という視点でした。

インターネット上では、アカデミズムもジャーナリズムも関係性の強さに病んでいる。どれくらいの人に見てもらっているだろうか、自分の仕事はどう見えているんだろうと気にしてばかりいる。そんなアカデミズムからもジャーナリズムからも独立し、少数の読者の中で公共性を実現していく試みが必要だという論考です。こちらの想定とは違った視点で、特集全体の幅の拡がりにつながったと思います。

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