アステイオン

座談会

総合雑誌から新書、そしてネットフリックスへ──拡大し続ける「論壇」

2022年01月21日(金)15時50分
大内悟史+小林佑基+鈴木英生+田所昌幸+武田 徹(※アステイオン95より転載)

■田所 皆さん全員が70年代生まれということで、おそらく90年代くらいから「論壇」というものをご覧になられているのではないでしょうか。そもそも「論壇」とは何かということも含めて、日頃考えられていることをお聞かせいただけますか。

■大内 識者の顔ぶれが重なることもありますが、『中央公論』『世界』『文藝春秋』などの主要月刊誌を中心として、論壇の「ど真ん中」が今もあるように思います。

一方で、新聞に「論壇時評」があるからこそ論壇が成り立っているようにも思います。朝日新聞では社外の識者に「論壇時評」を毎月書いていただくために「論壇委員会」を組織しており、今は「論壇時評」筆者の林香里・東京大学大学院情報学環教授を助ける論壇委員6人とともに計7人のグループをつくっています。

そこに僕も含めて社内の記者が事務局として数人入り、10人前後で「合評会」と呼ぶ勉強会を毎月ひらいています。雑誌などの論考を担当分野ごとに読み込んで、A4で30〜40ページにもなる「論壇メモ」を作って、それをもとに数時間議論しています。こうした定点観測によって「論壇」が形成されているという側面もあると思います。

ただし、近年は月刊誌の論考だけではなく、ネット上の議論を参照することが増えています。90年代に小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』や雑誌「噂の真相」を読んで育ちましたが、2000年代に入るとブログやツイッターなどSNS上の発言が反響を呼ぶことが増え、「論壇時評」でも時にはネットフリックスのドキュメンタリーが時代に即していて面白いと取り上げることがあります。

そういう意味では、論壇の観測範囲が広がる一方で、曖昧になっています。正直、論壇とは何かということについては、「論壇時評」を担当する中で日々悩み、模索しています。

■田所 『世界』であれ『中央公論』であれ、月刊誌の部数も減っており、言論に対する影響力が明らかに低下していることは間違いありません。そもそも論壇が一体何を意味するかという境界もぼやけてきているということですね。小林さんは、いかがでしょうか。

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小林佑基(Yuki Kobayashi)/1978年生まれ。読売新聞東京本社文化部記者(論壇担当)。一橋大学社会学部卒業。2001年読売新聞社入社。山形支局、東京本社地方部、文化部、長野支局などを経て、現職(2021年12月から富山支局デスク)。

■小林 実は僕自身、文化部に異動になるまで、論壇担当について正直ぴんときていませんでした。実際、今も他部署の人に「論壇を担当している」と言っても、みんなキツネにつままれたような顔をするので、「朝日に載ってるオピニオン欄みたいな感じ」と言うと、「ああ、なるほど」と言ってもらえるんですよね(苦笑)。ただ、論壇が漠としたものであるのは、昔からだったのではないでしょうか。

以前、大澤聡さんにインタビューしたときに面白いことをおっしゃっていました。論壇は1930年頃、注目の論考を読んだふりをするための「あんちょこ」として、新聞などの論壇時評が作られたことで発明された、というものです。

つまり、時評に頻出する識者によって何となく「論壇」という枠組みが形成されたのではないか。また、「論壇」は「文壇」のパロディーであり、模倣だとおっしゃっており、なるほどと思いました。

先ほど大内さんがおっしゃったように、主要月刊誌による論壇の「中心」は今もあると思いますが、やはり総合雑誌の売れ行きが相当落ちているので、「場」としての「論壇」はかなり弱体化していると思います。

他方で、ゲンロンの「シラス」など、物事を論じるネット上の「場」が活況だと聞くので、先ほどもお話がありましたように、やはり論壇の輪郭がぼやけてきている。

僕自身、月評を担当する際、「紙で出ている月刊誌や週刊誌、機関誌、しっかり編集が入っているインターネットサイトを対象とする」と引き継ぎを受けたのですが、その範囲ですらも、チェックには限界があります。

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