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36年に史上初の野球殿堂入り EZRA O. SHAWーALLSPORT/GETTY IMAGES

カッブには神経質すぎる面があり、高みを目指さない人をすぐに軽蔑するなど欠点も多かった。だが、そもそも完璧な人間などまずいない。

ほかの選手からは、好かれることもあれば嫌われることもあった。しかし、テッド・ウィリアムズやジョー・ディマジオのような偉大なプレーヤーでさえ(時には嫉妬心から)嫌う選手がいたことは見落とすべきでないだろう。

61年に74歳で死去したときには、敬意に満ちた追悼の言葉が多く寄せられた。36年にほかの4人と共に史上初の野球殿堂入りをしたときに最多得票だったことも強調された。

負の側面を語る人など、誰もいなかった。それなのになぜ『フィールド・オブ・ドリームス』で描かれたようなイメージが定着したのか。

独り歩きした暴露記事

発端となったのは、61年に出版されたカッブの自伝のゴーストライターを務めたアル・スタンプというスポーツ記者だった。カッブはこの自伝を激しく嫌い、死の直前に出版を差し止めようとした。名誉を損なう内容ではなかったが、スタンプが捏造したエピソードや事実関係の誤りが多数含まれていたためだ(自伝は死後に出版)。

この本が物議を醸すことはなかったが、スタンプが雑誌に寄稿した記事は大きな反響を呼んだ。カッブに関する不名誉な暴露話が面白おかしく書かれていたのだ。

そのおおむね事実無根の記事によれば、カッブは大酒飲みで、銃を振りかざしながら車を乗り回し、あるときは夜中に銀行の頭取の自宅に押しかけ、銃を突き付けて5ドルの小切手の決済を差し止めようとしたという。

野球界では誰もがカッブを嫌っていたと、スタンプは記事に書いた。葬儀に参列した野球関係者は3人だけだった、とのことだった。

記事は具体性を欠いていたし、コメントは匿名のものだけだった。それに、葬儀は家族だけで行うと遺族が発表したにもかかわらず、実際には何千人もが駆け付けた。

しかし、カッブを擁護しようとしたスポーツ記者たちの努力もむなしく、記事の内容は独り歩きし始め、やがてその人物像が真実と信じ込まれるようになった。

野球界でマッチョな人種差別主義者が野放しにされていたという物語は、あまりに魅力的だった。人々はカッブをたたくことにより、「自分は人種差別主義者ではない。この男を断罪しているのだから」と言えたのだ。

私が2015年に書いた伝記『タイ・カッブ──恐ろしい美(Ty Cobb: A Terrible Beauty)』は、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに入り、書評でも好意的な評価を得ている。少しずつでも、誤解を解くことができているのだろうか。

いや、カッブが生涯打率1位の座から陥落したというニュースが喝采を浴びたことを考えると、名誉回復はまだ十分でなさそうだ。

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