常に学び続けるクララの目を通して、読者はジョジーの家庭事情を把握し、クララが認識しない葛藤や動きをうかがい知る。

エリート層に属する母親はジョジーの姉の死から立ち直れず、優秀な研究者だった父親は仕事を失い、妻と別れて都会のとある集団の中で暮らしている。ジョジーは「向上処置」を受けられない隣家の少年と将来を誓い合う仲だ。

親心を思わせる使命感

そんななか、クララは世界の理解に努める。ソーラーパワーで動くクララだが、太陽はただの動力源ではない。太陽には瀕死の人を救う「特別な栄養」があると、彼女は信じるようになる。『わたしを離さないで』のクローンと違って創造主に関心はないが、太陽は神に近い存在だ。

イシグロ作品を社会批評として読むのは間違いではないが、それでは核心を逃す。美しくも奇妙な『クララとお日さま』が胸に迫るのは、社会を変えるテクノロジーに物申しているからではない。壁に囲まれた庭のようなクララの内面で、人知れず深遠な抽象的思考が花開くからだ。

だが結末でクララを道端に捨てられた家具のように思い、哀れむのは見当違いだろう。イシグロはクララを哀れみよりも羨望の対象として描く。『クララとお日さま』は、1989年の『日の名残り』に対して作家自身がしたためた返歌のようにも読める。『日の名残り』では主人公の老執事が、人生を懸けて仕えた主人に幻滅し打ちのめされる。

しかしAIのクララは全力でジョジーに尽くすという使命を、決して疑わない。そんな在り方は屈辱的に思えるかもしれないが、子供を持つ親なら共感できるはずだ。

イシグロ作品に、クララほど満ち足りたキャラクターはいない。この完全な充足感こそが、彼女の最も人間らしくない一面かもしれない。

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