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1973年に事故で負傷した息子ボウの病室で議員就任を宣誓 BETTMANN-CONTRIBUTOR-GETTY IMAGES-SLATE

一方で、当時のバイデンが勝利したのは争点に関する主張がうまかったからというより、むしろ幸運だったからだとも言える。選挙を直前に控えた1972年10月には、ロックマンは「彼が熱狂的な若い支持者の前に立つとき、女の子たちが目を輝かせているのは政治的なこととはほとんど関係がない」と、バイデンの熱狂的な支持者を一蹴した。

「女の子たちは、彼はセクシーだとこちらが聞いてもいないのに語る」。一方で、若い男性たちは「保守派の失態について語るバイデンを『新しいヒーロー』を得たかのような表情であがめている」。

男女の描き方ににじみ出る大いなる偏見はさておき、特定の争点に関して中道を貫いたバイデンが、それにもかかわらず1970年代前半の新しい左派を熱狂させ、若い層を中心にした有権者の心をつかみ、それまでのデラウェアにはなかった「ボッグズ以外の選択肢」になったことは事実だろう。

妻と娘を交通事故で失う

だがバイデンにとって、29歳という若さで上院議員に当選するという一大事をやってのけたことは、1972年の締めくくりとはならなかった。まさかの勝利という物語は、この直後に起きる悲劇によってかき消されていくことになる──選挙に勝利した翌月、ワシントンでの新しい生活に向けて準備していたその最中に、妻のネイリアと1歳の娘のナオミが自動車事故で死亡したのだ。

妻と娘の告別式でバイデンは、妻と自分が事故前夜、物事が「うまくいき過ぎている」と語り合い、一寸先に何か最悪なことが待ち受けているのではと心配していたと明かした。「私たちには、何かが起きる予感があった」とバイデンは言った。「何かが起きるという怖さがあったから、4人目の子供は儲けないことにしようと2人で決めたんだ......私たちには、3人の素晴らしい子供たちがいた。今は2人になってしまったが」

以後バイデンは常に悲劇的なオーラをまとっていたが、2015年にそれが一気に噴き出した。元デラウェア州司法長官の息子ボウが、46歳の若さで脳腫瘍で亡くなったのだ。

バイデンにはどことなくだが、常に物憂さや満たされない雰囲気が付きまとっていた。失言癖に何年も悩まされ、多くの民主党員と支持者が抱くバイデンの将来像に反してずっと大統領の座をつかめないでいた。

今回の大統領選に3度目となる出馬を決めた際、バイデンはもう若くはなく、若者にとっての最有力候補でもなかった。2018年には、若者をわざと怒らせるような発言をしたことさえある。「若い世代は私に、人生はなんて大変なのだろうと言う。いやいや、ちょっと待ってくれ。それにはまったく共感できないね」

だがバイデンは今回、出口調査によれば29歳以下の票のうち60%を獲得し次期大統領に選ばれた。45歳以上の票では現職のドナルド・トランプ大統領が優勢だったことを考えると、バイデンを勝たせたのは若年層だったとも言える。世代交代を売り込むのではなく「正常」への回帰を訴えていた古参のバイデンに、初当選から48年目にしてようやく「その時」が巡って来たということだろう。

©2020 The Slate Group

<2020年11月24日号「バイデンのアメリカ」特集より>

1972年秋、大統領選と連邦議会選挙(上下両院)の投票日まで1週間余りとなったある日、デラウェア州の有力紙ニューズ・ジャーナルに広告が掲載された。
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