自分を欺くのではなく新しい愛の始まりとして

逆に、妙に似ているところもある。

子犬時代のチウッピは、私がシャワー室から出てくると必ず寄ってきて、私のぬれた脚をなめた。それが習慣というか、ほとんど儀式だった。今のスムーチも、私がシャワーを浴びているとバスルームの前で待っていて、ぬれた脚をすぐになめる。

声も似ている。食べ物の好き嫌いも。不思議だけれど、やっぱりねとも思う。

でも、チウッピが戻ってきたわけじゃない。

実際、クローン犬を育てるのはほとんど真逆の体験だった。遺伝子と見かけはそっくりでも、スムーチには彼の個性があり、感性があり、なによりも彼自身の魂があった。だから私は、彼と新しい愛を築くことにした。

それで吹っ切れた。チウッピを悲しませるという罪悪感は消えた。私はスムーチを愛するけれど、それでチウッピと過ごした日々の記憶が失われるわけじゃない。それが唯一無二の大切な思い出であることに変わりはない。

スムーチはチウッピの代わりじゃない。これは新しい愛なんだ。

避け難い死を拒み、欺くためにクローンをつくる。そう考える人もいるだろうが、私の場合は違った。

スムーチがいても、チウッピを失った悲しみは消えない。スムーチはチウッピの代わりになれない。どんなに似ていても、昔のチウッピを取り戻せるわけじゃない。

愛した相手とそっくりな顔をした犬が私を見上げる
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