文字とは秩序であり、日本は分拠によって醸成された独自の秩序をそのまま交通させて近代への歩みを踏み出した。天皇親政の名において発せられた国書は、まさにその象徴といえよう。近世期の東アジアは各地域でリテラシーが向上し、読み書きの空間が拡大した時期と見てよいが、それぞれの論理にはすでに分岐があり衝突が起きた。
しかし社会におけるリテラシーのありかたは近世の東アジアに共通する。明清と朝鮮は科挙によって、古典学習への方向づけが行われ、娯楽文学の普及が相乗効果を発揮して、厚みのある読み書きの空間が成立していた。
だが同様の空間が科挙のない日本でも成立していたことは、読み書きへの指向がたんに俸禄を求めるだけのものではなかったことの証左になろう。
近世日本の出版物では、学校や塾などに備え付けて用いるのとは異なる個人用の小さな判型の注釈書などが、江戸後期になるほど増える。科挙用の参考書をまねたものもあるが、社会全体の需要──向学心や知識欲と言ってもよいだろう──がなければ、こうした現象は成り立たない。
近世東アジアに共通する社会の成熟とはそうしたものであり、蓄積されることが一定の意味をもつ漢籍学習の性格は、モラルと知識の普及に適していた。
西洋列強による圧迫に強い危機感を抱いた日本の知識層では、議論と憂国の文と詩が彼らの表現となる。そして新政府は、読み書きの主軸を漢字カタカナ交じりの訓読体とした。漢文学習者には親しい文体であり情報伝達の効率がよい。
江戸から明治にかけて、漢詩文の主たる担い手であった士族階層は、新政府の官吏であれ、在野の知識人であれ、教育者であれ、いずれも自らが得ていたこうしたリテラシーを十全に発揮した。
見落としてならないのは、西洋との新たな交通とともに、漢字による新たな交通も生まれ、それが近代における「同文」という新たな圏域を生んだことである。日本近代初頭における漢文隆盛は、近代東アジアという空間を抜きにして検討することはできない。
齋藤希史(Mareshi Saito)
1963年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退(中国語学中国文学)。京都大学人文科学研究所助手、奈良女子大学文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授などを経て、現職。著書に『漢文脈の近代──清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『漢文スタイル』(羽鳥書店、やまなし文学賞)、『漢詩の扉』(角川選書)、『漢文脈と近代日本』(角川ソフィア文庫)など。