こうした観点から見ると、人間の知性とは、過去を引き受けながら現在を生き、なおかつ未来を想定する能力だと言える。思考は常に時間のなかで揺れ動き、迷いを含み、未確定な方向へと開かれている。その不安定さは欠点ではなく、思考を人間たらしめている条件の1つなのだろう。
かたや生成AIの思考は人間のそれと大きく異なり、時間の概念が希薄である、あるいは、時間の経験が存在しない。生成AIは、過去の膨大なデータを用いて応答を生成するが、その過去を「生きた」ことは一度もない。
生成AIにとっての「過去」とは、常に現在において参照可能な情報の集合である。学習された言語データは、統計的な出現頻度の差はあれ、時間軸を失っており、そこには、恒常的な現在が滑らかに連なっているように見える。
生成AIは疲れない。過去を振り返って逡巡(しゅんじゅん)することも、未来を思って立ち止まることもない。そこにあるのは、失われた時間ではなく、最初から内部に組み込まれていない時間である。
つまり、認知症における記憶の変容と生成AIは本質的に異なる。認知症では、時間の秩序が揺らぎながらも、その人が生きてきた過去は、形を変えて残り続ける。経験は失われるのではなく、別の仕方で現在に入り込む(そのことに周囲は戸惑うことも多いのだが)。
一方、生成AIの思考には、そもそも経験の履歴が存在しない。そこにあるのは、更新可能なパラメータと、その瞬間に最適化された出力だけである。それにもかかわらず、私たちはしばしば生成AIの応答にあたかも「考えている」印象を抱く。
文脈に即した言葉遣い、過去の発言を踏まえたように見える応答、それらは人間の思考を巧みに模倣している。しかし、その背後にあるのは、時間を生きる主体ではなく、時間を前提としない処理系なのだ。
生成AIの進化によって、知性という概念は再び問い直されている。正確で、迅速で、疲れを知らない思考が、私たちのすぐ隣に現れたとき、人間の思考は非効率で、不完全に見えるかもしれない。しかし、その不完全さは、欠点である以前に、人間が時間を生きる存在であることの証でもある。
人間の知性とは、忘れ、迷い、時間に足を取られながらも、それでも考え続けてしまう、その不器用さの中に宿るものなのだろう。
大隅典子(Noriko Osumi)
神経発生学者として多様性の起源に興味を持つ。著書に『脳からみた自閉症──「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)、『個性学入門 個性創発の科学』(共編著、朝倉書店)、『小説みたいに楽しく読める脳科学講義』(羊土社)、監訳として『女性が科学の扉を開くとき 偏見と差別に対峙した六〇年 NSF(米国国立科学財団)長官を務めた科学者が語る』(東京化学同人)、『ジェンダー化される脳 性差は生まれつきなのか』(国書刊行会)など。令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰受賞。