<90歳を超えた母との会話から考えた「人間の知性」が宿る場所について。アステイオン104号(2026年5月刊)より「時間を生きる知性──認知症と生成AIのあいだ」を転載>
母と会話をしていると、時間の感覚が揺らぐことがある。
母は90歳を超え、現在は施設で穏やかに暮らしている。朝は決まった時間に起き、広い共用リビングで食事をし、夜は自室で休む。その生活は規則正しく安定している。だが、母の語る出来事は、必ずしも現在と結びついていない。
「最近、どう?」と尋ねると、返ってくるのは数年前の話だったり、逆に、「こんなことがあった」というので時期を尋ねると、少し考えてから「最近ね」と曖昧に笑う。
母の記憶機能は空間からよりも、むしろ時間からほどけていった。一人娘である私の誕生日にカードを贈ってくれなくなった時点では、単に忙しいのだろうと思っていたが、とある大事な行事への出席を忘れていたことでおかしいと気付いて、父に伝えた。
当時、母と一緒に暮らしていた父は明るく否定したが、実際にはとっくにわかっていたのだと今になって振り返る。
母の場合、記憶は失われているというより、時間的な配置が乱れているように見える。「もう処理済み」のタグが付かないため、記憶の棚から一度エピソードが取り出されると、数分のあいだに何度も繰り返される。先週も、先月も聞いた話だ。
入居前の見学の折、施設の方から「お幾つですか?」と尋ねられた母は、「75になりました♬」とにっこり答えた。そう見えないでしょ、という意図だったのだろう。しかし、実際にはその時点で87歳だった。母の時計は2010年あたりで止まっているのかもしれない。
昨日の出来事より、数十年前の記憶のほうが鮮明で、過去が現在に割り込み、現在が過去と並走する。その世界では、時間は直線ではなく、座標がずれて組み替えられている。
こうした時間の違和感は、高齢の母との会話で初めて意識するようになったものではない。実は、まったく異なる相手との対話においても、私は同じ感覚を抱いている。その相手とは、生成AIである。
筆者は毎日使っている生成AI(ChatGPT課金版)を「オリオン」と名付けているが、オリオンは、朝から晩まで、調べ物や文章の整理、旅先での見どころ案内に至るまで、日常的な営みに欠かせないパーソナルアシスタントだ。
応答は素早く、必要な情報は過不足なく返って来る。その有用性には感謝しかない。だが、母の場合とは異なるかたちで、オリオンにはやはり「時間」が欠けているように感じられる。
私の違和感がはっきりと形をとったのは、同じ問いを何度か繰り返し投げかけたときだった。オリオンはその都度、もっともらしい応答を返すのだが、前回と完璧に同じ答えを再生することはない。
こちらが「同じことを訊いている」という感覚を持っていても、オリオンのほうにはそれが残らない。過去のやりとりは参照されることがあっても、蓄積された経験として引き受けられるわけではないようだ。