目的や価値観が多様な集団での意思決定

とはいえ、ミツバチの集合知は、目的や利害の一致した働きバチによって生み出される。要するに、「よい選択肢」はどの個体にとっても「よいもの」であるはずだ。

たしかに人間社会でも、「全員にとっての正解がある問題」は存在する。共通の趣味を持つ人々のコミュニティであれば、技術やノウハウ情報は誰にとっても役立つ。あるいは医療のスキャン画像から客観的に正しい診断を下すという問題。こうした問題に対しては、ミツバチの教訓が素直に活かされうる。実際、複数の医師の所見を統合することで集合知が生まれることを示す研究もある。

では、目的やゴール、価値観、あるいは好みが必ずしも一致しない、多様な人々が集う社会ではどうだろうか。

多様な利害や価値観がありうる集団の意見をどのようにまとめたらよいのか。この難しいテーマは古くから研究されてきた。現代では、社会的選択あるいは集団的選択の理論とも呼ばれる。

たとえば、ここに仲良し3人組A、B、Cがいて、皆でランチへ向かう店を決めている。候補はラーメン屋か、カレー屋か、洋食屋。ラーメン好きAは、ラーメン>カレー>洋食の順に好み、スパイス党Bはカレー>洋食>ラーメン、パン屋のせがれCは洋食>ラーメン>カレーの好み順があるとしよう。

全員の好み順をうまく反映させた合意点を探ろうと悩み続けた挙句、この3名は何も選べずに終わってしまうのか。これは投票の逆理、あるいはより広く、アローの不可能性定理と呼ばれる数学的性質の現れである。

アマルティア・セン著・鈴村ら監訳『集団的選択と社会厚生』(2025、勁草書房)は、こうした合意不可能となる極端な例を持っていたずらに悲観的になる必要はないと教えてくれる。

「不可能性定理」とはいかにも絶望的な呼び名だが、それは理論の仮定を見直す機会となることで民主的な集団的選択の「可能性」を議論する出発点なのだとセンは主張する。センは、熟議や社会的なやりとりの存在を積極的に考えていけば、集団的選択の可能性は十分に広いのだということを丁寧に論証した。

現実世界の仲良し3人組であれば、長い時間をかけずとも、結局はどこかの店へ向かうものだ。熟議によって納得のいく妥協策が見つかるかもしれないし、そもそも「好みの順位」は、情報や経験によって変化しうるものである。